今日、ある事件で損害賠償で訴えるという相談があった。
個人ではなく会社レベルの話だがある人が、ありもしなことを言ったために騒動になり一応はおち着いたがそれを訴えるかどうかだ。
内容的に今後の信用にもかかわる虚偽なら訴えるのものもいいでしょう。
それなら援護射撃の祈祷も場合によってはいたしますよといっておいた。
「裁判勝利」こそ現代における調伏。
調伏というなら正邪を分けるそれこそのが正しい調伏祈祷だと思う。
白黒が明白につかぬ祈祷などアホらしくてしていられない。
世の中によくある意趣返しに人をダメージ与えたいなどという愚かな願いやただの喧嘩など一利もないことに与して何になろうか。
「ただのトラブルだろ。忘れろ。」と言いたい。
実際、えらく腹が立っても大概の問題は壱年くらいで記憶も感情からも薄れていく。
その程度ならあれから1年立ったと思えば何でもあるまい。
時々ひどいんです ‼などと言って義憤を誘いたいとおもってか、延々と被害を受けた身の上を語る人がいるが、そういう人に限って大体何の用意もない。お金どころか、信仰すらない。
ただ、やっつけてほしいなどとくいさがるだけの人が多い。
そもそも、仏道ならそういう羽目になったのは自分の業だとまず悟るのが先だろう。
人を憎む前に自分の業を憎んだらいい。
そこから出発せねばそんなものに与して悪魔の仲間入りする気などない。