昔のことですが、初老のかなり健脚らしき人がきて「日本各地の霊山へも行きました。本四国霊場も歩いていきました。」という。
聞けば本当にかなりの山を上っている。
このうえはいよいよ「修験道の秘法」を知りたいという。
彼の言う「修験の秘法」はどうも「当道秘法」のことを言っているらしく、「柱源護摩」に関心があるようでした。
だが聞いてみると霊山もお四国も一人で行っている。
山には山のルールがあるが知らない。
指導している師匠もない。
勿論、得度もしていないという。
「あなたの山歩きはすごいですね。でも、それ登山ですけど修験じゃないと思いますよ。
修験道というのは宗教行為として山に行くのです。
あなたの知りたいそれは宗派のものが峯中検校さんの指導下で峰入練行を繰り返して、しかるべき僧階の人がはじめて授かることを許されるものです。
だからいくら山に行かれていてもそれだけでは無理です。」
自分の健脚に任せて方々歩いてもそれは修験道ではない。
修験ならば山ですること、してはいけないことがある。四国遍路もそうだ。
山好きと修験道とは違う。
「いや、そこを何とか」とか言うが
「どうしてもというなら誰かについて改めて修験道として修行したらいいのでは」というと
「いや、今さらそこまでは…」というので
「ですよね。じゃあ、もうそれでいいじゃないですか。」
修験道と登山は違います。