生駒の湛海律師が聖天さんから離れようとしたとき、聖天尊は大変お恨みになりながらも「お前は私を捨てていくのか。だが私はおまえを捨てないぞ。」といわれた。
でも、最終的には聖天尊のお浴油はやめて弟子に譲られたということです。
これには当時、法友だった傑僧の浄厳さんがさかんに「聖天などの魔類を拝まないほうがいい」といわれたせいもあるようです。.
湛海さんを気に入って「私はお前を天皇の護持僧にしてやる」などとさえ言っていた聖天尊でさえ人の心はどうにもならない。
天尊は最終的に世俗の欲願には興味のない湛海さんに袖にされてしまった。
このことを想えば「あの人が好きだからおのずと自分を好きになるよう拝んでほしい」などという祈願はいかにバカバカしい絵空事かわかる。
人に好いてもらいたければ祈願の前に人間力で対峙しろと言いたい。
でも何事もきっかけというのは大事ではある。
私は師匠も「相手に気持ちを打ち明けてみる気がないなら祈願しない」といわれた。
私も打ち明けてダメならきっぱりあきらめる!という条件なら祈ってもいいと言っている。