幕末の聖天行者願海さんの感得と思われる尊勝大明神
童子形のお稲荷さんですね。
願海阿闍梨は台密の傑僧で私の修行させてもらった大福生寺にもゆかりが深く、ことに尊勝陀羅尼と大聖歓喜天を深く信仰され、中山二位の局が明治大帝をお生みになるとき無事を祈願した方です。
著述に尊勝陀羅尼の霊験を記した「尊勝陀羅尼明顕禄」があります。
傑出した験力を持つ阿闍梨様でしたが、親友の絵師・冷泉為親さんが斬られて世をはかなみ、葛川の滝に身を投じたそうです。冷泉さんには願海さんゆかりの仏画も多い。そのスタイルは伝統的な大和絵の手法で、世田谷の五島美術館所蔵の「尊勝陀羅尼神明仏陀降臨曼荼羅」などは実に素晴らしい。
でも、いくら親友でも願海さんほどの方が後追い自殺までするのは珍しいことだと思うのです。
志を共にする間に刎頚之友と言う言葉があるが、僧侶と絵師・二人の住む世界ははまた異なる。
願海さんは気持ちは勤皇派だったかもしれないが、幕末において冷泉さんは勤皇佐幕の両方に友がいたため。勤王の志士たちから裏切り者と誤解されて殺されてしまったのでした。
ひょっとすると二人は心の恋人同士だったかも。
当時では「念友」と言って同性の恋人は珍しくないことですし。