「クマ撃つな!可哀そうだろ‼」という苦情が北海道同庁に殺到しているという。
クマの被害を目の当たりにしないならクマを殺すのは可哀そうということになる。
北海道の当事者にまさに恐怖すべき問題なのだが・・・。
わたしもクマの被害は直に知らないし、命あるものを殺すのは可哀そうとは思うが・・・
でもこれは国防問題も同じ原理だと考える。
武器を持つから戦争になるという左翼平和主義はこの「熊さん殺しちゃかわいそう」と同じだ。
いざ攻撃が始まればそんなこと言っていられない。
クマがいない地域ではクマを撃つのは酷い事としか思わないのだ。
動物園のクマやサーカスのクマしか見ていなきゃそうだろう。
彼らは癒しをくれる可愛い動物でしかない。
同じ理屈で平和ボケの日本では軍備というだけで物騒に思う。だが、機銃や爆弾が雨あられと降りかかる中では「戦争反対」のプラカードなどより、竹槍の方がまだ役に立つ。
だが私の高校時代、中学時代は日教祖教育の毒が回ってそんなことをみな口走っていた。「自衛隊はなくせ」「軍備反対」と皆熱に浮かされたように言っていた。
私は「違うだろう。平和のためにこそ国防だろう」と昔から今まで思っている。
熊も生き物。そして人も生き物。
撃たぬが良いがギリギリ撃たざるを得ないこともある。
クマの脅威を知らない人だけがクマが可哀そうとしか考えない。