金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

されど人

宗教は人を救う者。それはそうだろう。

だが、日本では江戸時代までは「宗教」という言葉はきかない。

たぶんに「道」といった。

「仏道」「神道」「儒道」

「修験道」「陰陽道」

道はありかただ。

 

悩みは「道」から外れている状況というのが基本的スタンスである。

個々の人の悩みに寄り添う。

それは及ばずながら私もさせて頂いているところだが・・・・

宗教はただ寄り添うのではない歩むべき「道」に戻すのが本来だ。

なにか望みを祈って叶える。それだけでは道にはならない。

 

私は正直言って「人類」のしていることにはあまり寄り添いたくない。

強欲で狡猾で傲慢。

それが「人」という生き物に私の持つイメージだ。

決して手放しで素晴らしいとは思っていない。

人間万歳‼とは思っていないのだ。

なぜなら人類は「道」からおおきくはずれているから。

温暖化、核問題、森林伐採、AIやクローン問題。

地球規模の火種をいくつも抱える。どれもひとえに強欲の産物だ。

むしろ人間よ。奢る莫れだ。

そうした側面が地球を殺してしまいかねない状況が現代だろう。

例えば象牙も密漁は今だにやまないそうだ。

密猟者は必ず武器を持っていて。森林警備隊に対して躊躇なく撃ってくるそうだ。

そういうものは打ち殺す結果になっても仕方ないと思う。

極端な話、あくどい密猟者を撃ち殺してでも、ゾウが種として絶滅しないほうがいいと思っている。

私はそういう人間だ。

だから対象が「人」限定ではなく「一切衆生」ということをいう仏教が好きだ。

 

だが、その教えも人ならでは実践できるのは事実だ。

被毛頭角の動物ではなしえない。

人だからできるし、必要なのだ。

かくいう私も人。されど人だ。