この間面白いテレビを見た。生物学の番組だ。
普通の動物は終生、生殖能力があるらしい。
それが亡くなったらもう寿命だ。
昆虫なんかは卵産んだら死んでしまう。子供の顔を見ることはない。
サケやアユもそうだ。
人間だけが生殖能力が減退してもなお数十年生きる。
人間はほかの生き物と違ってプラスアルファの時間が長く残る。
それはなぜか?
それは人間は繁殖期の後に後進に対して文化や知識、技能を教える時間、とりわけ人生を教える時間が設定されているのだ。
つまり後進の育成が晩年の使命としてプログラミングされている生き物だということ。
顧みるに今のシニアは元気・・・というより若い。
良い意味だけではなくいろんな意味で若い。
それは一面「幼稚」と言う意味でもある。未熟でもある。
だから晩年になっても愛だ、恋だと血道をあげる人もいる。
なかには恋愛に自分のすべてを懸ける人もいる。
恋に落ちた若者のように!
そして最近はそれが素晴らしいこととひたすら称賛される。
最期まで恋に生きる!素敵だ‼ 理想の晩年だと・・・
はたしてそうでしょうか?
あえていいましょう。
・・・それは違うのだと思う。
古代インドでは青年期や壮年時代は大いに実社会で活躍し、配偶者を迎え、子供を育て・・・そののち森林期と言う時期を迎えると人は森に入って哲学的思索や宗教的探究に入るという習慣があった。
実に理想的だ。
古代中国で四書五経のうちでのうちでもっとも深遠とされた易経は50歳になるまで学ぶなと言われたそうだ。
当時の50歳からは人生のうちで最晩年である。そこから道を求める。
日本でも偉人は人生晩年の楽しみは学問にしかじと言っている。
人間の生き甲斐は色恋だけじゃない。
美味 美酒でも蓄財でもない。
それらは終わる時期が来ないといけない。卒業だ。
そしてそうなったら、いかに社会の後進を育成し、道を譲るかが課題だ。
詰まらない考えでしょうか?
そうかもね。
でも私はそれが人間における自然の与えた本来の過ごし方だと思う。