「大阪市の進学校・清風高の男子生徒が試験でカンニングをした後、教師が指導する中、「卑怯者」と発言したことなどが原因で自殺に追い込まれたとして、生徒の遺族が学校側に対し1億円あまりの損害賠償を求める裁判を大阪地裁に起こした
今回の件について「訴訟になると、どちらに過失とかそういう尺度が当てはめられますけど、これはそういう二元論で片付けられないことであって」と苦悩の表情で話し出したふかわ。
「長い人生の中で、たかが試験、されど試験かも知れないですけど、1回のカンニングという行為がどう考えても命に値することではないので。命の尊さからすれば、カンニングは私からすると全然釣り合うものではないので…」と話していた。」
自殺したところでカンニングが不正であることは変わらない。
私もハッキリ言ってカンニングは不正でかつ卑怯なおこないだと思う。
勿論、ご当人が亡くなられたことには気の毒な思いはする。
だがそれは卑怯者と言われたことが気の毒なのではない。
卑怯な行為をしたのは紛れもない事実だ。
17,8歳にもなってあまりに低い自己価値と異常なプライドの高さが気の毒なのだ。
それがないなら彼は死なないで済んだだろう。そこが残念だ。
どのくらい、どのように責めたかにもよるが決して死ぬようなことではない。
そこはふかわ氏と同じ思いだ
死のうが生きようがカンニングは褒めたことではない。
そこも変わらない。
遺族が卑怯者と言ったから自殺したと一億円もの賠償金を要求しているそうだが異常に思う。
連日、卑怯者と執拗に連呼し罵倒し続けたのだろうか?
そうでもないなら私は無罪だと思う。せいぜい厳重注意だろう。
一億円などありえない。
この教師も決して自分が殺したのだなどと思うべきではないだろう。
さもなくば日本人の恥を知るこころは死ぬだろう。