人生には暗く長いトンネルがある。必ずある。
どんなに好調子でも必ずトンネルに入る時はある。
時には長い長い先が見えないほどの長いトンネルにはいることもある。
そんな時、神仏に本当に信心のある人はトンネルの中を神仏とともに歩む。
励ます声が聞こえる。
本当の信心のない人は「なぜ。信仰しているのにこんなトンネルに入ってしまったのか」と疑い、絶えず愚痴をいい、人に当たり、果ては神仏を恨む。
信仰しているからと言ってトンネルのない人生はないのだ。
それが真実だ。
神通力でやすやすとそこから出してももらえるというものではない。
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だがトンネルには必ず出口がある。
出口にいたるまで神仏を恨み、人や世間を恨んですっかり鬼になる人もいる。
トンネルの中で鬼になるかならないかはその人の人としての修養の問題だ。
それは教育・知識や教養とは別なのだ。
ある聖天信仰のお寺の先代老僧の言葉
「信仰はだいたい5年だな」という。
裏を返せばそれを過ぎないと本物じゃないということでもあろう。
トンネルはいれば信仰やめる人がいるからそうなるのだろう。メッキの信仰は人生の雨風で簡単にはがれる