行者を目指す人には聖天信仰を勧めることが多い。
もちろん、聖天行者になれとは言わない。護法神としての信仰だ。
私は聖天様を熱心に信仰する人を尊天は見捨てないと知っている。
もちろん、信仰したって人生は楽じゃないですよ。
大変なこともいろいろある。
辛いことも悲しいことも山ほどあるが・・・そこを聖天様とともに何とか何とか入り抜けていく。
そういう力が聖天様にはあると思う。
そう思い自体が信仰の力なのだと感じる。
何とかなってきたのはそのお陰だと思う。
だが、世間には聖天様を祈願していろいろ御利益があったが最後の最後に天尊に裏切られたという人もいる。
それで怖い神様とか、障礙神とか言っている。
だがそれは違う。
たぶん裏切ったのはその人の方だ。
本当は増上慢になって本来持つべき謙虚さを失ったのだと思う。
それを一番嫌う。恩知らずは容赦なく地獄に叩き落すのも尊天だ。
奢れるものは久しからずだ。