心のお宮を心殿という。
私が身近に日々修する小法に「我が心殿に○○尊まします」というくだりがある。
この一文は大変気にってい
本当は高価な仏像など入手できなくても我が心殿に仏がいれば十分だ。
いわばその心殿のほとけをしっかりと描くための「よすが」が仏像、仏画だ。
仏像仏画も有難いが、それは心に仏を描けるからだ。

どこへ行っても拝めるのは心殿の仏。
最高のお守りだ。
例えば金翅鳥院の講員さんなら「我が心殿に十一面観自在菩薩おわします」といえばいいだけだ。
そしてその仏に向かってお経を読み、真言をとなえればいいのだ。
どこでもできる修行だ。出かけたらわたしはそうしている。