金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

仏の開眼は縁でするもの

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仏は仏縁で祀るものです。

仏像買ってきてこれ魂入れてくださいと言えば一応の開眼作法自体はできますが。本当に仏さまがきてくださるかは本人のお心が仏とつながれるか否かだけです。

それ以外ない。

仏を木や金属の人形みたいなものに封じ込めることが開眼ではない。

仏像は仏さまとの携帯電話みたいなもの。携帯電話は買えてもナンバー知らなきゃつながらない。

それが心でつながるということ。

 

これは以前ある神職の方の話です。

お宮のお札焼き場に御札ではなく厨子が納めてあるのを見つけた。

よく見ればなんと木像の聖天さまでした。

その方は神仏通じてよく信仰する方で聖天尊にも信仰があったので、そのまま焼くことなく、拾ってきて拙寺に相談に来られました。

拙寺に納めたいとのことでしたが、私はいったん抜魂して開眼し直して彼に祀るよう勧めました。

物がものですのでご本人にも少し心配もあったようですが、兎に角お預かりしておくことにしました。

でも拝むうちにおりから木像にそれこそピッタリサイズの聖天厨子も手にはいり、これはますます縁のなせるところだなと思った。

 

普通、在家が聖天像など祀るのは「もってのほか」ですが彼も神職とはいえ宗教家ですし、崇仏の心が強いのでこれはご縁として生かせということだと思ったからです。

 

仏像は買えても仏縁は金で買えるものではありません。

心ないまま色々仏像集めて祈ってもフィギア集めみたいなもんです。

ご利益ある仏を祀りたいと大金はたいて、立派な仏像彫らせても心がないならそこに仏はいない。