信仰はスィッチだと思う。
神も仏も信仰というスィッチが入らないと見えてこない。
テレビはあってもスィッチ入れなきゃ映らない。
あってもなくても同じだ。
神仏はそういうものだと思う。
外界にいて超自然の力で我々に迫ってくることはない。
善なる至高の存在がいてそのようなアプローチが一方的にできるなら戦争も疫病もあるまい。
犯罪もおこらないだろう。
スィッチいれなければ神仏とは出会えない。
我々は知らずと至高のものと出会う方法を持っているのだ。
スィッチを入れない人と神仏の話をしても始まらないのは見てもいないTV番組のことで話するのと同じだ。
だからスィッチを入れるのをかたくなに拒む人と神仏のことで議論しない。
信じないでも自由だ。
私の知ったことではない。
私は見たいものがあるからスィッチをいれている、それだけのことだ。
