十一面観音経に言う「宿福薄きものはわが名及びこの神呪を聞かず」
では、祝福うすきものとはいかなるものか。ここのところを勘ちがいする人もいます。
貧窮 下賎 多病 愚癡 暗鈍 不辨善悪 若能受持此咒
称念我名 一切所求 必定成就 富貴自在 無病安楽 得智辨才 世出世事 無不称意 乃至 証得無上菩提
貧乏でも社会的地位がなくても愚かで善悪もよくわからぬものでも世間、出世間問わずに救いはあると取れています。
昔、もう亡くなられた方ですがよく相談には来るものの「・・・こちらはは十一面様ですよね。」と言って手を合わさない。
理由を聞くと「私は十一面観音祀る新宗教で散々嫌な目に遭ったので十一面観音はどうも苦手なのです。」という。
「それは十一面さまが悪いのでは無くその教団の問題でしょう。
たとえ、教団がどうでも、もうすでに十一面様にご縁はあるのだから、今度は正しく信仰すればいいのでは?」ということで話をすると、その後、終生厚く信仰された。
状況はどうあれ、ご縁はご縁です。
だから祝福が薄いということは今現在、お金に事欠くとか病気とか、教育がないとか言うことではない。
そういうこことは少しも関係ないのです。
「自分はみいりが乏しいから宿福が薄い。だから十一面sマを祈っても無駄だ」などと思ってはいけない。現在の状況は宿福ではない。
そこは十一面様にあって初めてわかることで今の自分の状況で祝福は薄いのだとそう決めてはいけないのです。
本当の宿福の薄い人とは信仰心のない人です。いくらお金があり社会的成功者でも仏教ではそう考えます。