十一面様の怖さは聖天様や飯縄様とはまるで違う。
まず今の自分に対する反省を要求されます。
全てを見通されているような怖さがある。
そのうえでどうしてそうなったのかわっているのか?と尋ねらえているような怖さだ。
しかし、聖天尊、飯縄様、観音様、いづれも大悲の方便であることは違いない。
いずれもなまやさしい方ではない。
我が子の行く末を案じる親はむしろ厳しいものだ。
聖天尊に言われる一子の愛をもってみそなわし給うとはそういうことだ。
どうして只甘やかすだけの存在であろうか?
その厳しさの中に信仰を失わないものだけが至れるところこそ、かたちなき最高の恩恵である。