飯縄明神様の御本地の一つでもあるので飯縄山の奥の院でも本院でもおまつりさせて頂いてますが、このお地蔵さんは日本でできた地蔵菩薩で「愛宕大権現」という習合神としても知られています。勿論、習合思想の産物ですが、一体もとはどこから来たのかと云うのが昔から何となく気になっていました。
伝説では清水寺の千手観音の脇侍であった勝軍地蔵が坂之上田村麻呂のの蝦夷討伐に示現したと言い、武装していることから一種の軍神とされていますが、実は「畢竟空寂」の兜をかぶり、「発心修行」の幡をかざし「、随求陀羅尼」の鎧を着るというこの地蔵様は本来は修行における勇猛心の表示です。
ですから勇気のほしい人、くじけそうな人に拝んでもらうととてもパワーがいただけます。
この間から天大将軍という観音経にある神様の名前がなんとなく気になっていましたが、これは普通は韋駄天のことです。韋駄天は韋駄天走りというように俊足の神ですが実は大自在天の御子神でつまり聖天様の弟です。韋駄天は普通は中国風の鎧兜に宝棒を持つ姿が一般的ですが、密教では「鳩摩羅天」といい頭が六つもあって孔雀に乗り、金剛鉤か鈴を持ちます。
普通は鞍馬山の魔王と云えば天狗と相場が決まっており、実際、お参りに行くと少年神ならぬ老荘の大天狗がお祀りされていますが、さらに鞍馬山では魔王尊はヒンズー教の神話に出てくるサナトクマラはこの神様であると言います。
サナトクマラは神智学ではチベット仏教の神話上の聖地である地底世界、シャンバラの王とされます。
こうしてみますと将軍地蔵は金星を通じて鳩摩羅天つまり天大将軍と繋がっていると思えてなりません。
故に私は勝軍地蔵尊の正体は実は天大将軍なのではないかと考えています