金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

阿弥陀籤

ある行者さんから難病でもう難しい人の祈願を頼まれましたがどうすればいいでしょうという質問を頂きました。祈願を受けるべきか否か・・・?
もう半泣き状態で相当悩まれていました。
私もこういうことは度々ありました。
私の場合は御話の内容や占術などで状況判断はしますが一応原則としてお受けしています。本人が希望する限りは・・・です。
神ごと仏ごとは科学ではありません。
常識ではもう助からない。1,2か月が限度と医者が言っても宗教は科学ではありません。常識的に無理ならあきらめるのであれば逆に宗教はいらないわけです。
ですから宗教は科学ではない。非科学的で上等!と常に申しております。
科学的宗教なんてそれこそ怪しい限りです。
可能性が1パーセントでもありそうならば祈願は致します。
神仏のすることですので難しそうでも助かる人もあれば、一見軽そうでダメな人もいます。
ただし安易な気休めは一切言いません。
「祈祷すれば助かりますか?」といわれれば「それはわかりません!」と言い切っています。
結果が助かると解っていなければ、したくないというなら、その祈願は絶対に受け付けません。
ですから難病の方に、こちらから「御祈祷しましょうよ。きっと助かりますよ!」などいう安易なことは口が裂けても言いません。

宿曜道ではどうなります?」と聞けば「かなり難しいです。」とか云うようなことは言いますが、祈願の結果までは占いません。
それをするのは矛盾です。
祈願は抑々その結果に影響を与えようというものですから。
これはちょうど阿弥陀籤に1本加えて悪い結果をずらそうというのに似ています。
祈祷と云っても昼夜分たぬ医療行為に比べれば極めて僅かな行為ですが一本入れるだけで結果が違ってくることもありますから。