金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

ビナーヤカのお話し

聖天様の眷属ビナーヤカ、常随魔と怖れられ、物事の成就を妨げてしまうという存在です。
この常随魔を退けるのがインドでは一つの課題だったようでビナーヤカを退けるだけなら如意輪観音、うすさま明王馬頭観音軍荼利明王をはじめとする明王部などはいずれも儀軌にビナーヤカを退散させるという利益を説くものが多いのです。
軍荼利と十一面尊しかこれを追い払えないと云うのは間違いです。
もともとビナーヤカは好んで祭儀を妨げるので、そもそもの結界と云うのはこのビナーヤカが対象だったのではと思うくらいです。
古来、困った奴らを何とかするのには二つの方法があります。一つには彼らよりパワフルな存在を頼むこと。二つ目は彼らの首領に頼むことです。
そもそも聖天信仰はこの後者の考えから出たものではなかったかと思うのです。
密教の仕上げの儀式をする灌頂道場に祀るのもそのためでしょう。
要するに彼らに邪魔させないために親分にきてもらうという発想です。

ビナーヤカは我々が何かしようとするときに決まって邪魔する存在とされまです。そういう思いしたことありますか?
日本でも昔から好事魔多しと云うのがそれです。
わたしが喜んでいると必ずぬか喜びになるという具合。
どうせよい事なんてあるわけない!と力強く言ってしまう貴方・・・
でも、何故そんなことになるのでしょう。
それは実は喜びごとに秘密があります。
喜びごとと云うのは大概常にはなかなかないことなので喜ぶわけです。
この「常にはないこと」が、どこかで「ありえないこと」と結びつくとビナーヤカは喜んで出動します。
こんなに幸せで良いの?
こんなに儲かって良いの?
こんなに人気者になって良いの?
こんなにモテていいの?
という風に思っていると「まってました」と動きだします。
なぜでしょう。…で良いの?の後には貴方の「いいや、良いわけがない。」が隠れているからです。
「これってありえない。」が隠れているのです。
だから帳消しにするのです。
帳消しになると「やっぱり」とがっかりするけど、実は心の奥でいつものおなじみの自分に戻って安心しているのです。
だから「やっぱり」なのです。
帳消しにしないと不安です。
何故ならその代償を求められると信じているからです。

こういう人は常に「きっと○○しますから助けてください。」とか「私が代りに病気しますからお母さんを助けて。」とか、「金輪際、○○をしませんから願いを叶えてください。」というように代償がその信仰が根底にあります。
そうした信仰は神仏への断ち物や約束などによって強化されるのです。
もし望んだとおりになれば代償は払わないといけないのです。
こういう人はビナーヤカとお友達。一つ幸せになれば代わりに別なとこで不幸せを拾います。
或いは代償が怖いからご利益を帳消しにします。
私としては払ってもらうのは祈祷料だけでいいのですけどね・・・。

じゃあどうすればいいのでしょう。
先ず代償信仰は止めること!
祈願のために断ち物、聖天様とお約束はなにもしないこと。
祈願が叶っても何も問題なくそれで良いのだと思うことです。
そのためにはあまり喜んだりしないほうがいい?
いいえまったく逆です。
些細なことでも喜びましょう。
極端な話。まず生きているだけでも喜びましょう。
だって生きていることに比べればほかの喜びごとなんて全然たいしたことないでしょう。
そして今日あなたの心願が叶っても同じように喜べばいいだけなのです。