金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

「荼枳尼天供」


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青山社から「荼吉尼天供」が発売です。

勿論、内容は基本的に密教の僧侶対象です。
荼枳尼天供はけっこうな昔、高野山の日進堂さんから真言宗の大山公淳先生が出されました。(管見のかぎりでは「大山公淳全集」にも収録されていないようです。)
そんな私とは比ぶべきもない密教已達が出されて以来と思い恐懼しておりますが、荼吉尼天を奉安されているお寺さまには宗派は問わず何らかの参考になると思います。
荼枳尼天供は諸流派の内でも禄外であり、諸尊法の一括伝授を受けても入らないことが普通です。
このため正規に伝授を受けた伝承者が少なく、荼吉尼天祠はかなり多いのに反して拝み方が一向判らないという状態です。
最近ではむしろ民間にこれを修法するなどという者も宣伝しているようであります。
修験系統でもあり、俗先達などが修すようなものもあるようですが、なかには昨今は荼吉尼天はなんでも叶えてくれるとして至って邪悪な願いなどもひきうける悪辣な宣伝もあるようであります。
勿論、これらが正しく荼吉尼天供を学んだかどうかは甚だ疑問です。
密教における荼吉尼天は本来、護法善神であり、素人が大日経疏などをいたずらにひもといてあるいは「荼枳尼は悪魔だからよくない。」あるいは「だからこそ邪な願いも叶う。」などといずれも一知半解なことをいっている有様です。
ときに密教僧でもそのようなことを口にするものがいるのは嘆かわしい極みです。これらは荼吉尼天の真実を知らないもののとるに足らぬ妄言の類であります。
大日経疏はいかに有ろうとも曼荼羅の諸尊を厭離するようなことは説いていないのです。それを素人が読むとそのようにしか取れないのは密教の心を持たないまま読んだ証拠であると言って良いと思います。
基本的に密教の経疏は密教を学ばぬ者の読みこなせるものではありません。
先日もある地方で「荼吉尼天」のを祀る興宗教のような物が流行っていて、その勧誘に乗らなかったため、障碍を受けているという相談がありました。
しかし、これらはおそらくは自分が稀代の霊能者であると豪語する素人やそれらしきものを少し齧った僧侶もどきのの戯れ事にすぎず、荼吉尼天は「護法善神であり、そのような神ではない」ことを説いて毅然とした態度でそのような幻影に惑わされぬようにと忠告したところです。
話を聞くと「呪詛してやる」と云われたわけではなく、ただその勧誘に従わなかったというだけですが、その後家の中にキツネをつれた信者の生霊が出現するというのです。要は荼吉尼天が怖い神であり、狐の霊であるという恐怖のイメージがそういう結果をもたらしているのでしょう。
このようなものには祈祷は不要です。時として幻影に弓矢を射る様なまねは、かえって幻影を実有として扱うため強化してしまうから逆効果です。
譬え生霊であって幻影であっても同じことです。厳然として「退去」と命じればすむのです。こういう時は頼むのはダメ。あくまで命令です。
その人の家なのですから。
昔は荼枳尼天という言葉すら仏教者や豊川稲荷を知る人以外は存知しなかったのですがここまでいたずらに喧伝されると放置しておくわけにはいきません。(荼吉尼天を修法の名前だと勘違いしている高僧もおられました。そのくらい知られてなかったのです。)
とりわけ荼吉尼天を奉安せる寺院様には特にその解説部分を読み理解を深めて頂きたければ幸甚の想いです。
購入者には10月初旬に伝授会も案内しています。(在家や未入壇者は不可)詳しくは青山社のホームページをご覧ください