金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

どの御経をあげれば・・・

よく、信者さんから「どんなお経のあげたらいいでしょうか?」という質問があります。
どんなもこんなも礼拝要典をわたしてあるのだからあの通り読めばいいのですが、なにか効果的に・・・ということらしい。
「好きなお経をあの中からあげればいいんじゃないですか。般若心経でも観音経偈でも最勝王経如意宝珠品でも・・・十一面経でも。」というと段々本音が出てきて「実は今度、子供が受験なのでそれに効くのは・・・?」
薬じゃないから効くとかそういうのはないのです。

まあしいて言えばどれも功徳があるのですから好きなものとしか言えない。
あるいは一冊読むのが一番いいですね。
一冊読めば30分くらいはかかるのでわずかそのくらいは本尊と接触しないできくもへちまもないわいな。
どの御経ではなく、せめてそのくらいの時間はじっくり本尊と付き合ってくださいということが大事なのです。
逆に効果の高いお経を上げて後ははしょろうという考えそのものが神仏と自分を隔てる考えでしょう。
何でもインスタントはインスタントでしかない。
嫌々あげても功徳はいただけないでしょうね。
でもそういうのでなく、お経本なくてもいつでもどこでもというなら「延命十句観音経」を繰り返しとなえることを勧めています。
憶えやすいですから

「観世音 南無仏 与仏有因 与仏有縁 仏法僧縁 常楽我浄
朝念観世音 暮念観世音 念々従心起 念々不離心 」

仏法僧縁のところは仏法相縁となっているものもあります。
でもそんなのはどっちでもいいでしょう。
これはもちろん和製の御経です。インドや中国の撰述でないと・・・というような朴念仁はやめておきなさい。
和製だろうがインドだろうが真理を説かれているのが御経です。
お釈迦様はひとつもかいたわけじゃなし。そういう意味なら全て偽経です。
天台は法華経が中心なんだから法華経が一番じゃないですか?
という方もあります。
でも法華経が有難いというのは全巻トータルでの話。
法華経の第二十五品である観音経と般若心経ではどうでしょう。
心経は高度な空理を説くお経、方や観音経は法華経の流通分で観音様の功徳を説くお経。内容的に全然違うタイプです。
あえてどちらが程度が高いかと云えば般若心経ですね。なにせそれ一つでトータルなお経。片方は法華経とはいえ宣伝部分ですから。
でも祈願の読誦経典としては優劣ないです。
そこは内容的レヴェルが高ければそっちがいいというものじゃない。
因みに伝統的な見解から言えば諸天尊には般若心経が一番いいということになっているのですね。
なにせ天部というのは神通自在で驕慢なのでそれを空理を説いて驕慢から離れせしむという意味があるのです。
でもこれは本来天部を実類天(仏教の護法神ではない神霊)と考えた場合でしょう。
本当は拝んでいる天尊は権天(仏菩薩の化身や仏教に帰依した護法神)なので上げている我々よりはるかに空理を理解しています。
つまりお寺で祀られている本尊としても弁才天毘沙門天、聖天などです。
でもそれならそういう天尊にあえて般若心経をあげるのはなぜ?

そうやって天部は般若心経を喜ぶという建前で実はあげてあげるのではなく我々のほうが驕慢から離れるようあげさせてもらっているのです。
そこ間違えるとお前のほうが驕慢ではないのかと天尊から嗤われます。