金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

諏訪明神の真言

境内の裏庭に御諏訪さまの小祠があります
御諏訪さまとの出会いは夢でした。
大学時代に夢に湖が出てきてその中から波を分けて鳥居が出てくる。
「我は諏訪の稲荷権現也。汝に霊力を授ける。」という夢でした。
そしてすごく眩しいのです。目が醒めると朝日が顔に差し込んでいた。
なるほど、それでこんな変な夢見たのだなと思いました。
今でも霊夢なのかどうかはわかりません。
でも御諏訪さまはお稲荷さんじゃないよな…よくわかりませんでした。
歌舞伎の「本朝二十四孝」では諏訪勝頼の娘、八重垣姫の祈りに答えて諏訪明神のお使いの狐が現れます。するとやはり稲荷神の側面もある?でもこれは江戸時代になって出来てきた話。狐と諏訪明神の関係はほかには探してもなさそう。
それで家の者に自動車で諏訪へ連れて行ってもらった。
そうしたら今でも記憶違いと思うのだけど夜通し走って朝方に車でついてお宮の横に看板がある。
見てみるとそこにはどこだかに武田信玄が拝んだ毘沙門天と吉祥天があると書いてある。それが諏訪の本地だというのです。
後で考えるとそんなのないのです。
二度目にどこだっけ、あの時いかなかったから今度こそ行こう!いかなきゃと思って探すんだけどないんです。
後になって、そうなんだ。あれって元々無かったんだ・・・と後でうすうす気が付いた。
そんなまるで夢遊病者みたいな記憶がある。
それで諏訪明神を信仰をして長い間、諏訪の真言を探しておりましたが見当たりません。
神社だから真言なんてあるわけないというのは現代の話。
神仏習合時代に独特の真言のあった神祇は結構少なくないのです。
御嶽信仰には色々和製真言があるからと調べたのですがどうも諏訪はないらしい。御諏訪さんの本出した人から最近、電話があったので逆に聞いてみたけど知らないという。
こうなると普通は本地仏に当てられている上社、普賢菩薩と下社、千手観音の真言ですね。それから普賢菩薩は法華経の修行本尊ですし、法華経自体が妙法蓮華ですから観音の三昧です。だから法華信仰もそこにある。日蓮宗では諏訪明神の信仰は多いです。
諏訪湖を大日如来の位置に仮定すると下社と上社は位置的に西北と東南の関係ですから胎蔵曼荼羅では東南の普賢、そして対する西北の観音です。
だけど、山梨県の雲峰寺には信玄公の風林火山の軍旗の周りに梵字が書いてあってどうも毘沙門天と吉祥天の真言らしいのです。そして此れが諏訪明神の真言だといわれています。「チェーチェーカンカンヤマニタラナイ・・・」という風に始まりかなり長い。読んだ感じは和製ではないみたいな雰囲気です。
おそらく失伝した毘沙門天の儀軌から出たのでは・・・?と思います。
この所依の儀軌は現代では見当たりません。
でもこの事を後から本で知って当時の私は「本当に毘沙門天と吉祥天だったんだ!!」ととっても驚いた。

そういうことで長い諏訪真言はあるにはあるけどちょっと称えにくい。
旗に書かれている梵字も正しい発音がいま一つよくわかりません。もっとも短い真言は存在しないのかもしれません。

そうしたらこの間、変なことに思い当たりました。
諏訪明神は改まった言い方だと「諏訪南宮法性上下大明神」というのですが、この「南宮」というのが判らない。いろいろ調べても確かなことは決定打はないようなのです。「なんで南宮なんだろう?」
調べるとほかにも南宮という神様はいくつかある。必ずしも御諏訪さまだけが南宮明神じゃないんです。
だけどなぜ南の宮なのかが判らないな・・・
そんなことを考えていました。
すると御諏訪さまから突然に「南宮とはそもそも南閻浮提に最も優れたる明神なるところを以て我を南宮と称したのだ。」と返ってきました。
もっとも、私はエスパーじゃないからそんな気がするだけ・・・・かもしれませんが、「ああ南宮というのは南閻浮提の南だったんだ!そうなんだ。」と変に自分勝手に納得しました。南閻浮提というのはインドの世界観で四つの大陸の内、南の世界、我々の世界です。南閻部州ともいいます。
そして我が真言を称えるなら「オンナングウミョウジンソワカ」というべしといわれました。
まあこういうのよくありますが例によっ私の妄想なのかもしれません。でも私は別段悪い事でもないと思うので授かったものと勝手に解釈し最近はそうお唱えしています。(笑)
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拙寺の諏訪明神様です。