金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

大分県のカレンダー回収を嗤う

大分県が配布のカレンダーに六曜がついていたので回収とのこと。非科学的な迷信で公共団体にふさわしくないんだと。
六曜なんて占いとして使っている人はあんまりいないでしょうけど此れも一種の文化でしょうよ。文化ってみんな科学で検証されないといけないのでしょうか。
六曜は元々時間占いでしたが幕末になって日にちに配当されるようになったとか。
実は私も全く気ににしません。
ある家で奥方がどうしても地鎮祭を大安じゃなきゃダメというのでわざわざ枉げて大安にしてやったらそれをグズグズぬかしたそこの家の女房がいやしない。子供の授業参観だかなんだかで出かけたらしい。亭主が一人で大慌て、惨めなもんだね。
後できけば「あたしはここの家に嫁に来たんじゃなくてこの人と結婚しただけ。だからお父さんやお母さんの面倒は一切見ません。」と宣言した位の女だそうだからもともとがロクなもんじゃないんだろうけどね。
以後は大安じゃなきゃ嫌だとか言う方は全部お断りしてます。うちは密教の星占いで決めていますのでそれがいやならよそ行っておくれ。六曜は完全無視!
だから六曜なんて肩もつつもりは全然ないけど、非科学的的信だからといってお金かけといて回収までやるというのはまったくもってヒステリックで笑えますね。笑うといっても「嗤う」というほうですが。バッカジャナカロウカ?
だったら花まつりやクリスマス、七夕、節分も暦にのせないのが正しいのではないんでしょうか?
行政がやっている宝くじ。本日大安とか一粒万倍日とかいっていますよね。あれどうなるの?
七夕なんて織姫、彦星なんて星の神様が天の川はさんで恋愛してる話でしょうが。これだって科学的に云々とかいうなら迷信の極みだし、節分だって陰陽五行思想というメイシンが背景の24節季というしろもので今日まできているんですけど知らないのかしら?
こういうものは文化ですよ。文化は科学的じゃなくてもいいのでは?
日本もだんだん唯物論の跋扈する無粋な社会主義国的みたいになってきたもんだ。「遊び心」の無いつまらない国になってきたもんですね。
実に嘆かわしいですな。

日本中がこの大分県みたいになったらおしまい。
それこそ大分ならぬ「大慯」です。
そもそも二言目には「科学的に」とかいう奴は信用しないことにしています。
なにかというと科学的ということをふりかざすからどのくらい科学に明るいのかと思えば、マアよく町で易者が置いてある行燈「科学的観相」「神秘的手相」なんて書いてありますが大概あんなようなもんだね。
科学的というと人が納得すると思って無闇に連呼しているだけのバカも多いし。
今回もあきれるのは六曜が差別につながるんだそうです。
訳わからない。
「暦差別」してるのはアンタがたでしょ。あきれてものがいえないね。


大体、日本人っておしなべて文明だの科学だのという言葉に弱くて軽薄だと思うのですね。ロクに考えもせずにそういう言葉だけでひれ伏す。
古いものを大事にしません。歴史も大事にしません。
残念ながらその点は正直そんなに褒めたものじゃないと思う。
明治維新で「文明開化」なんて騒いで、あたかもそれまで日本には文化なんてないような言いぐさ。それで古いものは何でも一掃しようとしたわけでしょ。同じ日本人としてそういうとこ恥ずかしいね。
こういうのは極端な話、根底は中共文革みたいなものです。
このカレンダーもきっと誰か頭の固い「文化人」とかいうツマラナイ御方が文句言ったんでしょうね。
別に大安だの友引だのがついてたって親切でいいんじゃないの?
気にする人もいるのだから。
そもそも、たかが公共団体ごときが個人の決めるべき領域である迷信とは何かを断定することこそ僭越の極みじゃないのかと思う。
いいだしっぺが日教組さんだかどこの誰だか知りませんがそんなつまらぬことでグズグズぬかすなって感じですけど。私的には。
(維新の橋本さんじゃないけど日本を悪くする諸悪の根源は日教組だと思いますね。これからも、いままででも。)
わざわざ回収して税金を無駄にする方がよほど良くないと思うのは私だけでしょうか?

古典的な古い文化なんかもともとほとんど、現代科学とは関係ないんだから一々目くじら当ててそういう批判してたらそのうち全部なくなっちゃうんじゃないんでしょうか・・・・と本気で心配してしまう。