金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

西陣の聖天様 3 霊符

西陣の聖天様の谷田ご住職は霊符をよくする方で、寺務所の近くの別室に鎮宅霊符神をお祀りされていました。
聖天浴油の札に霊符を加えて拝むのだそうです。
私がうかがったときは武帝応用五十八霊符をお描きでした。
それでウナギが大好物なのですがもう食べるのやめたそうです。
鎮宅さんは仏教的に言えば妙見様ですね。尊星王です。

※拙寺に祀る霊符
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神道ではアメノミナカヌシノオオカミとか道教的には太上神仙とか言いますが。
鎮宅さんの修法では食べてはいけないのがウナギ、牛肉、亀、すっぽん、雁などいろいろあります。
私は生来いい加減な人間なのですっぽん料理を食べないだけであとは全部食べてますが、ご住職は全部やめています。
さすがですね。
一緒にお蕎麦屋さんに行ってカモが出てきたら、それ雁じゃないですよね・・・?ってな具合で大変まじめな方です。
ウナギは本当は妙見さんの眷属が蛇と亀なので、亀はともかく蛇は食べないのが普通だから、かわりに「ながもの」をたべないんですね。
でもアナゴはいいみたいで食うなと書いていない。
海の魚は江戸時代まで、内陸の都市には「塩サバ」や干物くらいしかこないからアナゴ自体よく知られていなかったのかも知れません。
臨海地域で食べたには食べたけどポピュラーじゃなかったのかも。
原点である「鎮宅霊符縁起集成」自体がまだ、そういう流通の発達しない時代にできた物かもしれません。
確か海の幸で食べていけないものはなかったように思います。
江戸になるといわゆる臨海都市の強みで「江戸前」つまり江戸湾の魚はよく食べられるようになりますが。

「霊符は効きますか?」
「効きますね。でも望まれないでした場合は効きません。」とのこと。
頼まれないで祈祷することはないだろうから、これは本人が無関心な場合ということだろうと思います。
例えば奥さんが一生懸命、祈願してもご主人がそんなものは…という場合とかでしょうか。

「なるほど」と思うお話です。
私を心理カウンセリングや心理セラピーの勉強に誘ってくれた法友のK師は「クライエントとセラピストの間に強烈なラポール(信頼関係の確立)が形成できれば、療法は何であれ効くんですね。・・・その逆でなければ何やってもきかない。」というような話をしていましたがまさにそういうことでしょう。
宗教なんてもっとそうでしょう。

私もいろいろな人から頼まれて重病でかわいそうだからと非講員でも拝んであげることもありました。
でも、一度は良くなった人であっても。本人が信仰に無関心の場合は最後の最後にダメになる。ラポールがないんですね。
面白いのは病気が再発しても信者になりたいとは絶対言わないのね。
でも「また、拝め」とは言ってくる。
ご利益見せられても講員にならない人は駄目ですというと「…どうしてもだめですか。こんなに頼んでも・・!」と恨めしそうにいう。
こういう人には感謝なんかどころか、逆に恨まれかねません。
一辺は命が助かった経緯があっても、信者には決してならないで諦める。
そんなに嫌なのかしら?
たぶん困らないなら無縁でいたいのね。神仏や宗教とは。
どういうものなんでしょう。そのへんは病院や弁護士なんかと同じ感覚?
如実に霊験があったと思うからまた頼んでいるのでしょう?それなのにこの心理は私にはわかりかねます。
その考えを聞いただけで私の方だってもうそういう方とは付き合いたくないですね。
こういう風だから多くの聖天寺院では「いちげんさん」はお断りなのでしょうね。
谷田師も「講員制度みたいのもあるいはいいかも、、、」と言われていました。西陣様でもわけわかないこと言って「もうおいでにならないで下さい」となった要注意人物がいるそうです。
どこでもいるのね。そういう人は。
だから「そこまで言うなら気の毒だから・・・」なんて今は全く思いませんね。
霊験見せられても宗教は嫌だというならそれで上等です。それはどう思おうとそちら様の自由ですから。
ただしこちらにも断る権利があります。
それでも何とかと食い下がる。
最近は「一度駄目と言ったら、千回頼まれようが答えは同じです。」といっています。
なんか講員になってもらって講費がもらいたくて言っていると思われるのも物欲しげで嫌なものです。
しばらくして、おずおず「じゃあ・・・どうしても駄目だというなら講員に…」と言ってくる人もいますが「仕方なしになってもらうようなものはないので、そういう気持ちでおいで頂くのは私も嫌です。もう、どこかほかの寺社へお頼みください。」といってます。
あきれるのは「じゃあ、よそ行くならどこがいいですか。紹介して。」という人がいます。「?!」
こういう人は紹介なんかしようものなら、「よくならなかった。どうしてくれるんです。」といいかねないバカもいますからうかうか紹介なんてできません。
「一体どう紹介するんです。うちじゃ無理言って手に負えない変な人物がいるのでお宅で見てあげてとでもいうのか?」といいたいですね。
中には「おたくには紹介する責任があるでしょ?」といった人間もいる。
していいものなら、ここまでいうのは直ちに戸外へ蹴っ飛ばして塩まきたいですね。
だから講員でない人の大きな祈願は一度だけでもう二度とはしないことに決めました。
でも最初から講員になれといったって一度は拝んであげないと神仏の力がわからないでしょう、だからどなた様でも無理のない祈願なら一度は拝みますけど二度はありません。
谷田師の霊符のお話を伺って・・・いずこも同じ秋の夕暮れと思いました。