金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

長寿が不幸となる?

昨日、老夫婦が無理心中を図ったという痛ましいニュースを聞きました。
長男が見に来て発見したそうです。
夫は87歳だそうです。
病身の妻を撲殺して自分は腹を刺したようです。
そこの家には家なりの事情はあるのでしょうが80代後半の人間を二人だけで住まわせておくのはまずいですよね。
事情は知らないのでこの家の長男を責める気はないですが。こういう状況はまずいことは変わりないと思います。
これからそういうことは多くなると思います。
長寿が必ずしも喜びじゃなく地獄になる。もうそんな時代が来ているのですね。
まして90近くまで生きるなら還暦後の人生の長さは人生の実に三分の一です。
今は結婚していない人も多いですからそういう家で両親が倒れて子供一人で介護となれば、一家全員が地獄です。
その子供だっていない人もいる。自分の番が着たらどうなるの?
だから、これからの時代は元気に死ぬ?ことが夢です。
これは医学に頼るほかないけど・・・。
そのうち死ぬ権利の問題も出てくると思います。偽らざる話、自分の命なんだからもうこの辺でいいという人もいるでしょう。
これは聞けば残酷な話ですが当人はそう思っている人は案外多いのかもしれません。
でもそれを容認すると若者でもそういう人は確実に出てくると思うし、、、社会ということを考えると認められる可能性はないですね。
生き物は熱エントロピーが消費してだんだん弱って死ぬ。これは生き物の宿命です。元気なら死にたくないしね。
「ポックリ祈祷してよ」なんて、この話したら友人に言われましたが冗談抜きでそれが夢の時代になりました。
私の師匠なんて70歳で年としては少し早いけどほんとにパッと亡くなりました。
今も年齢的には80代ですから生きていても不思議はない。
しかし、これはこれでいい亡くなり方だと思いました。
動物とは違い人は、親の世話をし最後を見るという大きな違いがあります。ここは大事にしたいですね。
産み育てることは多分に自然の営みでも、見送ることは情なくしてはできません。
病の家族の世話をしてそれが終われば、ほどなく自分の番というのが人生でしょう。
考えれば詰まりませんが豊かな人生とは快適に過ごすことだけじゃないですよね。
そういう人としての務めをしっかりすることを抜きにしては豊かな人生なんて到底語れないのではないかと思うのです。
誰でもしまいには一歩も歩けないという境涯になるのですから・・・。
そのことをゆめゆめ忘れてはならないと思う。
核家族からそろそろ大家族へ展開していかないと解決できない問題です。
一緒に住むなら税制の優遇処置をする事が大事です。
いっしょにすむなら仲のいい他人でもいいと思う。