金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

出家は責任放棄の手段にあらず

 

「出家」とは家を出ると書く。

でも実際は家を出ないので「在家出家」などと言う意味不明の矛盾した言葉も横行する。

修行したい女性の中にはいっそ離婚をしてと考える人も時々あるが、果たしてそれで生活はできるのか?

実際離婚したら生活に追われて修行どころでないという現実がある。

出家しても入る寺おいてくれる寺がないなら、それは出家でなく家出と大してかわらない羽目となる。

ちなみにうちはそんな人を抱えるような大寺ではない。

住み込みの弟子を置くとするなら男性で祈祷僧として将来性のある人間のみだ。

他は一切考えない。

 

あきれたことにたまに「お寺においてくれませんか?」と出家すれば寺がただで食わしてくれると思って得度を問い合わせしてくるものがある。

要は生活目的で寺に入ればすべてタダだと思っているのだ。

そういう者に与える宿舎も食べさせる飯もない。

 

もちろん家庭を持つ男性が妻子をなおざりにしての修行は断じて許されない。

 

昔は妻子をおいて出家した武士の話など結構あるが、それは妻子眷属のために家屋敷、田畑、荘園もあってそっくりおいてくるという出家だ。

そういうのは経済の上で妻子を捨てて出てくるのではなく自分が世捨て人になるのだ。

 

家庭を持っている人の出家は家庭がまず第一と思っている。

家族が不平を鳴らすようならその人の得度は認めない。

宗教は自由だがそこを家人が納得するか否かは別だ。

修行より家計、修行より子供の世話や教育、修行より家庭サービス。妻に着るものやカバンの一つ二つも買ってこそだ。子供の成長に伴う教育費だって大きい。

修行する金があるならまずそちらを考えたい。修行はそれからだ。

「うちはそんな余裕あるお金持ちじゃないよ。得度して修行したいのにどうしたらいいの?」

 

そのようなことは知らぬ。

ではあなたの家庭は、家族はどうなるのだ?

目の前の義務や責任を果たさずして仏道もへちまもありえない。