金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

晩年は僧侶にでもなって悠々自適…は妄想

最近は定年後に出家すればお寺で食わせてもらえる。

宗教法人には税金が要らない!などと言うことで晩年に出家しようとする人もいるようですが大きな誤解をされていますね。

なんか坊さんになれば楽に生活できると思っているようですが・・・

お坊さんと宗教法人は別ですので普通に個人としては収入に対する税金は必要です。

そして「お坊さんになったら宗派が食わせてくれる」は究極の大間違い。

逆です。ありえない。

 

宗派がお坊さんの課金でなりたっているのです。

大きなお寺であっても病気で働けなくなればお寺を出て入院生活や施設入りです。

基本的には寺や宗派は面倒は見ない。親族が見るのが普通です。

介護士代わりのそんな暇な坊さんもいなければ、宗派にも本山にも生活や治療を見る余裕はない。

 

残念ながら今はあんまり聞きませんが、むかしは終生を寺男や寺炊事の女性などで終わる人がいて。身寄りがないなら大寺の管長や貫主などが最終段階は個人的なマネーで面倒を見たということはままありました。

でもそういう方は若いうちから来て一生懸命、寺で働いてきた人だからこそです。

定年後、にわかに得度して、寺の知識はゼロ、特になんの仕事もできない身で本山に行って「こちらにおいてください」などというのは狂気の沙汰です。

若いものなら力仕事などの雑用はあるかもしれませんが、定年後なんか門前払い必定です。

ある僧正クラスの人が後期高齢者だから課金は払わないと頑張ってついに追放になったという話も聞きます。

まあでも、この方は別にお金には困っていなかった由です。

抑々、僧正クラスには普通はある程度の高齢者にでないとなることは稀でしょう。

そうなれば当然一般僧侶より課金ははるかに高い。他にもなにかと掛りは大きい。

たとえば寄付でもあれば任意でも何十万円単位で出さないといけなくなる。

それがわかっていながら僧階が上がっていいことはありません。

 

ましてや、ただで食えるなど寝言でもありえません。

お坊さんになったら晩年は楽々生活できるという馬鹿げた妄想は今すぐ捨てましょう。

金銭や生活を第一にして僧侶になるものではない。

「衣食の中に道心なし 道心の中に衣食あり」伝教大師