お寺の継手がいなくて困っているらしい。
場所や宗派によっては一か月に四ヶ寺も無くなっているとか。
かと思えば何十年活動しても立地の上で宗教法人にはならないうちのようなところもあるが。まあ、一代で終わるのでもうならなくていいと思っているが。
昔はお寺を出るのは無理なのでお寺を継ぐという子供も多かった。
今はそこはお寺より自分の生活だ。
住む居場所なんか困らない。
お寺が安定して生活できるとも限らない。
坊主丸儲けどころか、葬儀屋の下請けで窮々と生活している僧侶だって少なくない。
寺があろうが無かろうが同じだ。
寺があれば逆に修繕や建て替えの義務も発生する。
子供に結婚して寺をやって欲しいと思っても出会った彼女が「お寺は嫌だ」と言えばもうお寺はやめだ。
そう言う時代だ。
もうお寺に生まれたので、どうしても坊さんにならないといけないという時代ではない。
そう言う点では子供がいてもいなくても関係ないかもしれない。
ただ生活便宜上寺を出るか、出ないか、そんなものだろう。
むかしのように師弟教育に徐々に戻さない限り寺の未来はない。
今のお寺は多分に信仰が柱になってないから右往左往する。
逆に言えば寺の家庭化、私物化から脱却する節目でもある。
そうなれば寺に残りたいのは真の仏教者のみだろう。
それでいいと思う。