昨日、久しぶりに穴守様に行ってきました。
私も60半ばまで来ましたが、うちは後継者がいません。弟子はたくさんいるけどね。
あとやってくれそうな人はいません。
結婚して子供がいたとしてもやらないなら同じこと。
いまやそういうお寺は多い。
しかもうちは非法人ですから。
市街化調整区域では法人は立たないのだそうです。
引っ越すのも面倒だ。
そんなのたたんで死ねばいいんでしょうけど少々勿体なくもあるので。
こっちはともかく時に飯縄道場は母が建てたものですからだれか他人でも継承できたらと思う。
もう天涯孤独の身ですから身内や血縁がどうこうはない身の上。
顔も知らない遠い親類のもちものになって現金化するなら赤の他人様でも道場として使用してもらう方が千倍も良い。
まあ、そんなのも煩悩のうちですから、実は霊狐さんたちはさほど大事なこととは思っていないようです。
嗤って相手にしない。
どうでもいいようです。
彼らは「すべてものというものはなくなる。仏像やお堂に神仏そのものがおられるわけではないからな」という。
「なんでも永遠はなかろうが。二代三代続いてみても終われば一代と同じことだぞ」ともいう。
霊狐さんが「気になると言うなら穴守様に相談したらどうか」というのでお参りに行きました。
穴守さんは人寄せ上手なお稲荷様です。
まあ、たたむにしてもきれいなたたみ方ができればいいなと思います。
縁がないならそのための人材でも構わない。