葬儀には仏式・神式・キリスト教式のような宗教葬と無宗教の葬儀に分かれます。無宗教でも粗末とは限らないで大々的にする方もおられますね。
宗教葬でも身内だけでこじんまりはある。
ここで混乱しやすいのが日本では僧侶は葬儀にかかわるものという思い込みです。
だから葬儀となると坊さんとなる。
私みたいに一切やらないのは珍しい。もっと有髪ですから頼んでこないでしょうね。
葬儀で有髪の僧はカッコ悪いと思う人は多い。だから尼さんは敬遠されるらしい。
有髪な方も多いので。
そうなると私的には有髪は役に立っています。
在家の方々は宗派などの名前すら知らない人も多いので。いざというとき、家系の宗派も知らないし、坊さんなら何でもいいですというケースも出てきます。
かと思えば、この間どこだかで他宗の葬儀を僧侶が請け負って訴訟になったケースがありましたね。
なかには寺院の少ない地方などで。葬儀は何宗だろうがあそこのお寺ということもないわけではないかも・・・実際、私が昔、住職していた隣村には寺がないのでそこの葬式をするといいとよく勧められた。しなかったけどね。
そういうわけで収益とかでなく、善意で兎に角、葬式を頼むというので引きうけてきた地域の僧侶もいると思います。
でもそういう場合でも習慣になってしまうと齟齬となることはある。
だから「宗派の確認」というものはどんな場合でも大事だと思いますね。
宗派はどうでもいい・・・という前提ならしてもいいという僧侶もいるでしょう。
それはそれでいい。
そこは喪主との共通了解です。僧侶が宗派を押し付けることはできないでしょう。
でもその場合でも自分は何宗の僧侶でそもそもうちの宗派の葬儀はこういうものということは言う義務はあると思う。喪主側が関心があろうがなかろうが。
それは布教です。本当の僧侶の仕事は布教ですから。セレモニーじゃない。
ただし、その場合は檀家寺があるなら墓所はその宗派の宗教施設ですからお墓に入れてもらえないかも。
それは文句言えないと思う。霊園じゃないならね。
(霊園は宗教や宗派を問わないので寺院が経営していても収益事業です。宗教者が経営していないものも多い)
葬儀が喪主の自由ならそこは寺側の自由です。寺は客商売ではない。
ただし、僧侶と葬儀社は違う存在だということを徹底しておかないといけない。
僧侶が善意であれただ、「悲しみに寄り添えれば宗派なんか何でもいいのだ」というような宗教を軽く見るようなことでは私はあとで問題になりかねないと思う。
葬儀には喪主以外にも色々な方が会葬されますので。
葬儀の悲しみに寄り添うのは結構ですが・・・それは第一に身内のすることです。
個人的に寄り添いたい気持ちは結構ですが、そこは自分の宗派とは別に考えないといけない。
宗教者が葬儀で要求されるのは悲しみに寄り添うこと以上に宗派の宗教行為を厳粛に行うことです。そしてなによりその意味を説くことです。
葬儀は布教の場です。
「宗教」という前提があることを忘れてはいけないのです。
それを言うなら当然宗派ということもいわないわけにいかないと思う。
葬儀は私個人には無縁ですがちょっと考察してみました。