金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

准胝仏母10万遍修行体験記


これはある方が拙寺で去年得度して念誦修行した体験記です。
此れから仏道修行を考えている方やすでに修行の初門にある方に何かの参考になるかもしれないので僭越ながら本人の許可のもと掲載します。

この方は得度は済んでいますが准教師資格でまだ僧侶ではありません。
(当院は原則としてはじめからは僧階をつけず此処から出発します。)
三千仏名経の礼拝行を終え、処伝の密教の法は「護身法」のみです。
仏像がお好きでよく色々求めていましたが、准胝仏母を祀られていたのでまず、それを拝まずしてこのうえ余尊を求めることはよくない。
まず身近にある仏を拝むようにということで「准胝儀軌」にある通り「大咒十万遍」の修行を始めました。
さいわいに准胝仏母は世俗の垢穢れを嫌わず、遠ざけることなく修行できるのでこのたびこの行法を勧めた次第です。

※この方は、仏教の知識もあり仏教的ブロガーとしてもとてもファンの多い方でしたが在家ならいざ知らず,初行のものが喋々と仏道を語るなど断じてあってはならないということであえてブログは閉鎖していただきました。

以下満行後の伝文です。



羽田先生

いつも大変お世話になっております。先だっては准胝真言10万遍という修業の機会を賜り誠に有難うございました。お陰さまで昨晩、ようやく准胝大呪10万遍のお念誦が終わりましたのでご報告申し上げます。

2月6日からスタートして昨日4月16日結願でしたので都合70日の日数が掛かりました。毎日2000回の目標で行いましたが日によって1000回、時には100回という日もございました(修業が途切れる日はございませんでした)。

当初は、もっと早くと思っておりましたが結果的にこれだけの期間が掛かってしまいました。私の修行の至らなさと反省致しております。

また途中、普段経験しないような価値観や行動の変容起こす程の強烈なトラブル(主に仕事面)に巻き込まれることがございました。これによって精神的にかなり不安定となり、一時的にうつ病が再発し、久しく遠のいていた精神科へ駆け込むことになりました(一時的でしたので、すぐに回復しました)。

念誦を行うことで、准胝尊の背後にある集合無意識が活発化すれば現実世界へかなり影響力があるのだと思い知るとともに、逆にそれに耐えうる耐性がないと安易に修業を進められないということも痛感しました。

短期間で終わらせるということは、それだけ急激な変容を強いられるのだと考えるとこの期間かけて終えるのが今の私が耐えられるギリギリの耐性であって、これが今の私の器なのだと痛感しました。

そのためなのでしょうか?休みの日にまとめて念誦をしようとすると突発的な仕事、突発的な体調不良等が重なり頑なに2000回/日を超える念誦ができませんでした。

これは「早く終わった(=凄いと思いたい願望)」という自我を満足させる目的で安易に修業を急ぐことへのお諌めと、急激な変化に耐えられない私をお守りいただくような神仏(准胝様)のおご配慮があったのだと今では解釈しております。

これらのご配慮が尊格によって違いがあり、行者が神仏と向き合う際に、「厳しい」「やさしい」など違いが語られるのだと想像しました。

☆「おしるし」について

昨晩の夢には、儀軌にあるような「自見口中吐出黒物」という「兆候」はございませんでした。それでも一応、准胝尊に関わる夢を見ましたのでご報告します。

『(夢の内容)私は、我が家の准胝尊の仏画の前で坐ってる。仏画の両目が物凄い光量で光っており顔の上半分が光で見えず口元だけが見える。その口は笑ってるが、「優しい笑み」ではなく「挑発するような笑い」という印象を受けた。・・・場面変わって、別の准胝尊の仏画(我が家の仏画は坐像だが、立像姿)が窓際にかけてある。西日が照りつけているので午後という印象。そのお像は右目だけがぼんやり赤く光っていた。・・・・ご尊格そのものが顕れず、「仏画の姿で」ということが、まだまだ准胝尊との距離があるのだという印象を受けた。』

それ以外の「おしるし」につきまして

あまり喜ばしくない兆候ですが、あきらかに准胝様からのメッセージだと思いましたので以下、ご報告致します。※これは夢ではなく現実に起きたことです。

念誦を初めて約1ヵ月過ぎたころの3月3日の出来ごと。3月3日は昔からお参りしております陸奥国分寺の准胝堂が年に一度の開帳日なので参拝してきました。秘仏准胝観音様と「タスキ」でご縁を結ぶために准胝観音像に直接結びつけられたタスキをお堂の入口の上から垂らして一人一人が順番に握るという儀式が行われました。参拝者が順番にタスキを握り、ついに私の番が来たときのことです。いきなり突風が吹き、タスキが手の届かない高さまで舞いあがってしまい、私はその舞いあがったタスキを握れずしばらく立ち呆けてしました。傍から見ても、「この人、准胝さまにご縁を結んでもらえないんだ」と映ったことと思いますし、私もそう感じました。私としてはまさに念誦の行を行っている最中でしたのでむしろ強いご縁を結べると思っていたのでかなりのショックでした。「簡単にはお前とご縁を結ばないよ」と言われた気がしました。

以上となります。夢の内容、タスキを握れなかった兆候など「まだ足りない」「もっと継続しなさい」というメッセージと感じました。今後も「まだまだ足りない」ということを胸に留めつつ今後もさらなる精進をしたいと思います。

この度は貴重な修業の機会を賜り誠に有難うございました。

2017年4月17日

以下は私の返信

終わりましたか
准胝大咒は長いですから大変ですね。
密教の前行である不動明王10万遍は七日で終わらさないといけないので籠り行になりますが此れも大変です。
今回、あなたが気が付かれたようにこの行は耐性のない人はしてはならない行です。
.かえって変になるなど取り返しがつきません。
だからこそ密教は差別相の世界なのですし、差別がないといけないのです。
だれにでもというものではないのです。…中略
准胝さんと結縁できなかったのはどうとらえるかです。あなたのような取り方もありますし、あえてもう必要ないから…という考えもありましょう。
どちらがどうなのかは今後の修行次第です。
夢の話は一応のご納受はあったと言っていいように感じます。
いずれにせよ、いったんはここで区切っておいていいでしょう。

ご苦労様でした。