「宗教ビジネス」という言葉があるけど、まあ、広い意味じゃなんでもビジネスだと思いますけどね。お金頂けば一応ビジネスです。
でも「宗教ビジネス」というのはビジネス本位という意味なんでしょうね。営利目的の宗教ということでしょう。この言葉は。
そういう話持ち込んできて「儲かりますよ。組みませんか?」みたいなのもあったけどのったためしはない。投資とかの話もあるけど興味もないね。
私をお金持ちと勘違いしてくるんですね。お気の毒様。財産なんていうほどのお金なんかあるわけないのに。
大体変人なので、いい話でも人と組むのは大嫌い。
たとえ詐欺でもお金がないとだまされようもない。(笑)
私は私。人は人。
無理です。
そういうお話持ってくる方には「イヤイヤ、私と組んでもいいことないですよ。あなたの大切な経歴やお顔がかえってつぶれるようなことになったら困ります。もったいない。もったいない。」と言って帰ってもらいました。
私は貧乏は大嫌いですが、さりとて大金持ちにどうしてもなりたいとかはないんです。
困らなきゃいいんです。(でも清貧という言葉は大嫌いです。スミマセン。)
猫と一緒。気楽が身上。餌が食べれて安心して寝るところがありゃ基本的にいいんです。
金あっても困る人いますよね。むしろお金や不動産がありすぎてそれで困っている。
活かせない金や物は災いになるのかも。
それで毘沙門様は一日に三回有り余るお宝を焼き捨てるという。
ここに学びがある。
ちょっと、うらやましいようだけど、余っても足らないでも困るのは一緒だね。
毘沙門様の焼いてしまう無駄なお宝をもらおうというのが福神としての毘沙門天信仰。
足らないところに、よそでは余っている必要なものを持っていく。これが正しい経済。商売の根幹です。
ボランティアでも基本は一緒。モノが動き、人が動けば必ず経済も動く。
まあ、善良なお坊さんや宗教家でも家族があるから無理してしまう人もいると思う。わたしゃ天涯孤独なのでその点は気楽です。
この商売は商売だけど社長は神仏ですからね。
その神仏の経営方針に逆らうようなのは背任行為です。大体そういう人は最後には経営に失敗していますね。
なぜでしょう。
神仏、舐めてるからやな。と思う。ざまーみやがれ。