「大黒様と弁天様と聖天様、毘沙門様も最近になってお稲荷様もお祀りしていますがそんなにお祀りしてはいけないでしょうか?」
「…いけなくはないけど、どういうことでお祀りしているかですね。」
「いや、私、起業しようと考えていますのでなるべく多くのお力添えをいただきたくて」
「その方々すべてに起業を祈っているのですか?」
「ええ一応・・・」
「多分、それなら神々の方で役割分担していると思いますね。あなたの思惑とは関係なく。」
「そうですか。では叶いますか?」
「それはどうか知りませんが・・・徳積みを忘れてはダメですね。」
「徳積みですか?」
「ひと様のこと、いや、自然界や動物でもいいのですが、それらに想い致し、それらのためになることをしようとすることです。」
「神仏をひたすら祈って毎月祈願もしていただいてもそれでは足らないですか?」
「そう。最初はそれで良くてもやがていくら御祈祷代を払おうが祈願を聞いてもらえなくなる時が来ます。
例えばいくら沢山の有名店に出入りしてもお金がなければ物は買えませんよね。
同じように徳というものがなければ本当のご加護は手に入りませんよ。」
「でも、いくら徳を積んで人はそう簡単に有徳人になれないでしょう?
立派な人にならないとご利益をもらえないなら、ほとんどの方はすぐにご加護はもらえないのではないのでしょうか?それでは間に合いません。」
「それはそうです。だから立派な人にならないと御加護がないとは言っていません。
そういう世の中で有為の人になろうとする気持ちが大事なのです。
結果ではなくそういう志が天尊の誓願とリンクして感応するのです。」