ちょい昔の職人見習いなんて皆そんな感じだったんですが、そういう経験が無いからわからない。身近にもそんな場面がない。
だからかもね。
大体、師匠というのは「エ!」と驚くような要求をサラッとするもんです。それで自分の殻が割れて一段でかくなるんだけど「無理です!」とか「それは私はちょっと…できません。」というとそれでおしまい。
もう前にはいかんわな。
殻が破れないでまあまあやっていけば不満も出ないし恨まれもしないけど師匠の意味なし。
なんかお教室でノート採るようなことしか考えられんのかなと思う。
だから勢い機嫌損ねないよう腫れ物に触るようにして指導しないといけないことになる。
お客さん扱い。
だけどそんなの本当は修行じゃないね。
お遊びにもならんわ。
昔、比叡山の行院で山ほど御札を書かないといけない人がいて、気の毒で「手伝ってあげましょう。」と言って手伝った。
もう午前一時には起きて修行しないといけない日々でした。
それで夜十時ころまで手伝って「もう遅いから・・・それじゃ、私はこれで」と部屋に返ろうとしたら指導員の先生から「なぜ途中でやめる!手伝うなら全部手伝え。」といわれて驚いたことがある。結局最後までやることに。
でもこうじゃないと駄目ですね。
修行は。
手伝うというのはいい加減ならしない方がいいんだね。
驚きはしたけどなるほど…と本当に教えられたと思いました。
今でもその時のことは深く感謝しています。
出来レースみたいな修行なんかない。修行は驚きの連続。
認識の枠が破られ変容し続けるのが良い修行です。