金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

悲しき怪猫「オカナバ」

 
Nさんは優れた霊媒であったが、それだけに色々な霊の憑依に苦しめられました。
霊媒というのは受動型ですから受けやすいんですね。これに対して祈願というほうは発信型で能動型、大西先生は両方できたけどそういうのは稀なのだそうです。
もっとも自分に降霊して自分で対処するのは難しい。判断も誤りやすい。
だから修験道をはじめ日本の伝統宗教では基本的には寄り代と加持付けする行者の二人でします。
御嶽信仰的に言うなら中座と前座ですね。中座が霊媒です。
 
Nさんのご主人は大阪を中心に大きな商売をしている社長さんでした。
商売の世界も一面戦いです。ときには思いもよらぬ戦法で攻めて来る商売敵もある。
なんと呪詛をしてきたライバルがあったそうです。
どうも社長が具合の悪いことが続く、体調もすぐれない。
そのうち高い熱が出てふらふらするが原因不明のまま。
何とも不可思議。
それで師匠は霊媒祈祷してみたそうです。
そうしたらNさんに死霊が出た。死霊がついている…というより何者かの術で憑けられたんです。
 
それも人ではない。猫の死霊。自らは「オカナバ」と名乗った。言ってみれば「化け猫」です。
師匠の話ではこのオカナバというのはどうも沖縄の言葉の様だと言っていました。
それが猫の固有名詞なのか、そういう類のばけものなのかはわかりませんでしたが、どうもこの術を使ったのも沖縄の術者らしい。
 
この結果にはNさんたちは別に猫をいじめた覚えはないのでいぶかしがると…以下は霊媒で得た情報ですが・・・
 
なんとライバル会社が呪詛を専門する行者に頼んだらしい。
いきさつを聞くと何とも残酷です。
猫に行者が自分の血をなめさせておいて、袋に入れて時間をかけて、なぶり殺しにする。これは「毘陀羅の術」という邪なる術なのだそうです。そうして「お前がこんな目にあうのはアイツのせいだぞ。」と死霊に因果を含めるのだそうです。まあ、やり方は実際はそれほど簡単なものではないでしょうが、あらましはそういう仕組み。それでこの猫は術にかかって相手を取り殺さないと自分が苦しみから解放されないと思っている。
 大体の邪法の多くはこうして生き物をいじめ殺して人に憑ける。
非業の死を遂げた人間の霊を使う場合もある。

思うに「毘陀羅」とはインドの鬼神ベータラーに由来します。
インドで修行の長い井口師にきいたら、ベータラーはやはり動物型の鬼神でこれにやられると全身から死臭が出て付きまとうそうです。それで嫌われ恐れられて誰も近寄らず全く孤独に陥るという呪術がある。
それが本場インドのベータラーの法だそうです。
ここでいう毘陀羅の法はやはり邪法ですが鬼神でなく死霊を使う法です。起屍鬼の法ともいう。
インドならベータラーではなく屍鬼である「ブータ」(死霊)を使う法ということになる。
  日光大猷院の夜叉門に見る「毘陀羅」、動物ではなく普通の護法鬼神として表現
  されている。
イメージ 1


それでオカナバに師匠は「お前は術者から血をもらってしまったから言うことを聞かざるを得ないのだという。じゃあ、お前に私は肉をやろう。血より良いだろう、だからこちらの言うことを聞け。」という。
そういうとオカナバは喜んでオーケーしたそうです。そのあたりの単純さはやはり動物ですね。そこが付け目で術もかけられているんです。

我々人間でも執着が強いものがあれば操られてしまう。
例えば、つまらぬ男のためにまじめな女性が豹変し、勤め先のお金を横領してまで貢ぐようなものです。
だから行者はそういう執着はなるべく薄く持って生活しないといけない。
執着の強い人は念は強いが結局、そこで術において負けます。
そのよりどころを守ろうとする心が常に働く。守りを気にする。
お金、地位、名誉、家族など当たり前のものもあまりに強く執着すればどれも逆手にとられる。執着のないものは術にかからない。
 
師匠はこういう場合でも、決してむやみに九字で切りつけて退散をせまるとか、金縛りをかけて呪縛することなどはしませんでした。
死霊でも生霊でもまずは対話にこぎつけます。
霊に対するカウンセリングみたいな感じ。

師匠はNさんに指示して肉を用意して備えておいたが、オカナバはやはり離れない。
 「約束しただろう。何故、はなれない?」
「ダメだ、あんな肉では食えない!もっと腐らせてドロドロにしろ。」という。もう「餓鬼」になっているんですね。だからまともなものは食べられないんです。
それでそういう腐りかけの肉を用意したらなくなっていた。
おそらくカラスか野良犬がもっていったのだろうけど、死霊はそういうものの体を借りてものを手に入れます。
 
さてかくして術は解かれました。
回復したNさんのご主人は思いあまって、その同業のライバル社長にあった機会に「あなたは私になにか術をかけましたね?」といってしまったそうです。
そうしたらあろうことか、否定するとか、「何をバカな訳のわからないことをあなたは言うのだ?」とは言わなかった。
彼は血相変えて「なぜだ。なぜわかったのだ?」と口走ったそうです。
もう意識がマトモではない。邪法を使うとこうなります。
邪法を使えばほかの悪霊も四方から集まってきますからね。
 
そればかりではありませんでした。
そののち、このライバル社長は体のあちこちが腐りだしてくる奇病になった。
しまいのしまいにはそれで精神を病んで狂ったようにして亡くなったそうです。これは術が返った結果です。
術が解かれたら、こちらに返ると術者から聞いて知っていたので、つい「なぜだ!」と口に出したのかもしれません。
万一に備えてこういう呪詛行者は業報の多くは、依頼者がかぶってもらう起請文など書かせるものです。

 これはおそらくはオカナバの復讐です。もともと本当に恨むべきは術者に自分を殺させて呪いをかけたコイツなのだということでしょう。
 
その後、オカナバは再度、師匠の霊媒に現れました。
「私は術からは解放されたが、このような身の上で一体これからどこへいけばいいのか?」という。
師匠はNさんの霊媒を通して滅罪生善のためにオカナバに四国遍路の功徳を説き、遍路に行くようにと勧めたそうです。「わかった・・」オカナバはこれをのんで静かに旅立っていったといいます。
 
Nさんは当時を思い出したように「猫の足でももう満行したか知ら…それとも、まだ四国を回っているかなあ…」と言っていました。
菅笠に同行二人と書いた目には見えない猫がのそのそと遍路道を行く姿が彼女の脳裏には映っていたのでしょうか。

悲しき怪猫オカナバよ。安らかなれ。