金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

スピリチュアルな世界に思う。

 

いろんなスピリチュアルな団体や霊能者が世の中にありますね。

私は霊能者ではないのでわかりませんが、そういう人たちの見ている世界はバラバラです。あまり統一性がない。
つまりザックリ言えばどれも主観であって客観的なことではないんですね。
 
例えば前世一つ見ても、ヨーロッパの貴族だったり、平安時代の陰陽師だったり、はたまた犬だったり・・・
 
 
全て主観の世界。だから、私に関して言えば大事なことは前世そのものよりそうした世界観から何をもたらされるかです。その点でヒプノセラピーの前世療法とその有用性は何も変わらない。納得できればそれでいい。
私は数年前まで一時随分スピリチュアルな世界を訪ね歩きました。
 
本当の前世かと霊の世界なんかを知りたいのではなく、その有用性を引き出したいだけです。
つきつめれば私にとってそういうものとは真理とかではない。どういう良いものがもたらされるかでしかないのです。
だからどこにいっても「なるほど・・・ね」という感じでお話は聞かせてもらっております。批判とかもしない。
でも最後まではついては行きません。
ついていかないから批判もしないんだね。
でも、そういう意味ではそのどれもが何らかの意味でよかった。
おおいに学びがあった。どの指導者もすばらしいと思ったし感謝しています。
えらそうに言うけど私だって本質的にはおんなじです。
いや、いや、もっと下です。私は霊能者ではなく零能者ですから。(笑)
 
 
一昔前までは世界の宗教学者が日本に注目するわけはそこに宗教の発生があるからでした。
新宗教の台頭がそれだった。
でも今はスピリチュアリズムが伝番してむしろアフリカの奥地の部落より先進国でそれが見られる。これらは発生時の宗教とかわりはない。むしろスピリチュアルには生きた宗教の姿がある。
 
対するに半分枯れてしまった宗教。たとえば日本仏教には仏も来世も因果さえも信じない宗教者がごまんと居る。どちらが宗教的かと言えば前者ですね。
後者は多分に儀礼と社会習慣しかない。魅力がまるでない。
それで勘違いして文化活動や福祉とかさかんにやっているとこもある。
それ自体はいいけどね。
そこに宗教は不在です。宗教である必要が見えない。代用品はない。
 
 
そういうスピ系の席で「羽田さん、お坊さんなのに大丈夫。こんな話?柔軟性ありますね。」といわれたこともある。
それは当たり前です。大丈夫に決まっている。
なぜなら自分の立場ははじめから崩すつもりは全然ないからどんな話でも聞けます。
 
しかもその自分の立場の方が絶対に正しいとかではなく、それすらその中の一つでしかないと思っているから。
 
だから世の中のすべての人が将来はスピリチュアルになって自らの前世を知っていたり、自分の産まれてくる使命を知っている未来が来るなんて言う人もあるけど、そんなのはないと思うのです。
あったら危険です。色々あっていい。色々あるからいい。
 
密教とか修験とかも法華一乗とかも絶対の真理だとは思っていないし、絶対の真理などというものを語る人がいれば、その話は聞きたくもない。
それこそ胡散臭いから。
絶対の真理なんかどうでもいいんです。私は。
そもそも私は煎じ詰めれば宗教自体がどう我々の福祉に役に立つのかにしか興味がない。
絶対の創造主がいるのか、はたまた三世常住の仏がおわすのかはわかりませんし、知らんしどうでもいい。
そんなことで論争するのは私に言わせればただの遊びだ。
 
ここまで言っておいてスピ系の信奉者が来たら金翅鳥院は受け入れるかと言えば絶対が付くほど受け入れません。
何故か?
その人はおそらく私と同じ目でそれらを認識ているのではないからです。
私の中に矛盾による対立はないけど、おそらく普通はそうはいかないからね。