金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

入講が本当に必要ですか 2


「入講したいんですが…ブログにあるように怒っちゃいけないんですよね。怒りがダメなのは駄目かなあ…」という質問。
「ダメですね。」と私。

怒りは誰でもある。私にだってたくさんある。
でも、そこを容認してしまっては仏教の信仰にならない。
そこを抑えていくのが仏の教えです。

「いやいや、誰でも怒りますからね、大丈夫ですよ。」などと言えば怒ってもよいことになる。

この方、自分でも怒りやすいと言っていましたが、案の定、拙寺に早めに来て恵方巻だかなんだか食べて、そばでしゃべっている人に怒りを爆発させた。
お茶も出し、奥の席まで案内までしてもらってこうだ。
その人に言わすと恵方巻食べているときはしゃべっていてはいけないらしい。
よう、知らんけど。

だから後から電話して「あなたはくだらない迷信で感情的になり、自分の評価を落とすのは良くないね。」と忠告しました。
「うちは宗教だからね。お客様相手の商売じゃないんです。必要とあれば耳触りの良くないことや不愉快な話でも平気でしますよ。それが嫌な方はもうここへは来ないことです。」と。
でも、一応は納得してくれました。
私に言わせれば恵方巻なんか福を呼ぶというけど、誰が考え出した迷信だかね…と思う。
それより最近家が汚れるからやらないという豆撒きの方がよほど根拠がある。
あれ、陰陽道の打ち撒き儀礼ですからね。穀物の一粒万倍のパワーで邪気を払います。もっとも煎り豆だから芽は出ないけど。
古来煎り豆は呪術によく使う。私は病の封じものに使います。

問題があるから信仰に何かを求めるのは良いことです。
然しそれは同時に自己変革の努力が必須だということ。
言い換えれば修養こそが仏教のあるべき信仰です。
ただ、金を払えばサービスが受けられると思うのは宗教を勘違いしていることになります。
だから言うんです。
「ただ入講してもそれだけじゃ何もないよ。お金がお祀りや講費で定期的に出ていくだけですよ。そんなのお金が勿体ないから止めておいたほうがいいですよ。」