そのなかで先生は最後に自行の往生法について言及されました。
阿闍梨さんに成ったら葬式は事実上いらない。
まあ、勿論、供養していただくのはありがたく拒むものではないのですが・・・
でも引導作法自体はもう無用なんですね。
だって引導する側だもの。
それでもっぱら読経や供養法のみをするようです。
事実、葬式は終わっているのと一緒。
私のようなものが阿闍梨になってとてもラッキーだなと思うことの一つです。
私なんかは自分の遺骨なんか、なんにも執着ないので海にでも山にでも捨ててって感じです。
よしんば山のひとくれの土となって植物や小さな生き物の栄養になって自然にお返ししたいですね。
生きてるときは奪うばかりでしたから・・・