昨日は妙見菩薩様の降臨日、旧暦九月九日です。
妙見護摩を焚いて前々から依頼されていた妙見尊の開眼をいたしました。普通はこういう仏像は一般の信徒さんにお持たせませんが、先祖が父母とも妙見信仰ゆかりのお家でこの人は得度希望の方です。わずか数日で独部法10万遍を満行しました。
お帰りになってメールをいただいております。
「 羽田先生
本日はお忙しい中、妙見菩薩様の開眼を賜わりましてありがとうございました。
御寺様にいる時は特に感じませんでしたが、夜の御祈りを始めようと護身法をして御厨子を開いて、普段の御経本で聖天様迄行っていましたが、ずーっと鳥肌は立ちっぱなしで冷気と言うか御神気が溢れる感じで圧倒的な存在です。
終わって、金光明最勝王経一品を読誦しても「何か足りない?」と感じて法華経一品の読誦と念誦1080遍させて頂きました。
羽田先生が普段ブログで仰られていた天部の尊像、特に密供されたものは在家が持つべきものではない、誰がどの様に開眼されたかが大事と言う意味が初めてわかりました。家の仏壇にも大日如来様の御像がありますが全然違います。
密供された御尊像様は、個人の願意をぶつける様な存在ではなく、純粋に「妙見様が好きで御供養させて頂きたい」の一念以外あってはならない存在なのだなぁ、御札とは全然違うものなのだと分かりました。
天部の御尊像を祀ることがいかに危険な事か。この鳥肌と御神気を感じたら決して疎かには扱え無いと思いました。
ですが、御目付役がいらっしゃる感じがして、この御縁を大切にして御供養させて頂ける喜びも同時に感じております。
仏教、密教とは本当に凄い有難い事だとつくづく感じております。
妙見菩薩様の御尊像を賜わりまして本当にありがとうございます。深く深く感謝申し上げます。
取り急ぎ、御礼まで。」