調伏祈願のことはここまで書くのは本来、不適当なことではありますが・・・
このところ、きつい問題や交渉事の解決の依頼が多い。
前にも言ったが調伏と言っても相手へのダメージ目的ではなく、悪影響を退けるというのがその使命。
かといって柄を挿げ替えて絡め手から病や不幸にして懲らしめるとかいう陰湿なものでもない。あくまでまっこうから無理難題を言うものの主張を打ち負かす。
そうでないと意味ない。
でもそのままストレートに調伏真言なんか使うと反動は必ず来る。
それは経験的によっく知っている。
ゆえに風狐さんは「調伏は多く用いても三割、対するに息災七割・八割であるぞ。」といわれる。
調伏と言って悪を除く祈願も少なくとも七割は息災でせよということです。
「汝、毒物を薬として使うにいかようにする。毒を毒として使えばおのれにまで毒が回る。それはまことの調伏ではない。それは呪詛というもの。
よき薬に混ぜて少し使うがゆえに効き目もよくなるというものだ。
病人に毒が回るようでは意味あるまい。調伏は本人を救い、ひいては相手をも間違いから救うものでなくては仏法にならぬ。」とのお言葉でした。
神仏の支持を得られない祈祷はしても無駄です。