毘沙門様と飯縄様。ともに十一面観音の脇侍ですがどう違うのか昨日講員さまから聞かれました。
たびたびこの話はしているのですが、祈願の上では最終日に増益、敬愛は毘沙門天真言を加え、息災、調伏は飯縄様の真言を加えています。
その理由は毘沙門様は吉祥天という奥様、善尼師童子というお子様が並んでいて、一家の和合を、そして帝釈天の配下で仏法守護の役割を負う毘沙門様は武装されています。
要するに家庭と役割、人間関係といって人間の社会的な側面をあらわしたみほとけです。ですからあらゆる社会的な祈願に毘沙門様の力を加える。
これに比べて飯縄様は鷲の顔に、蛇を頭上や手足に巻き、キツネに乗って翼がある。
自然の姿。野生の姿。
生命本来の息吹があります。これは自らの身を守り、あだなすものを打ち砕く力そのものでありますから祈願に転じれば息災、調伏の二徳になるのです。
これらの尊は十一面様で不足だから加えるのではなく、そのまま十一面様の功徳を分かちて表現したものでもあるのです。
脇侍仏におけるこの話は十一面様でなくても阿弥陀三尊、釈迦三尊、みな同じ原理です。
本尊の徳をより細かく表現したものといえましょう。