時々気負った修行希望者がきて「(職業)行者になりたいんです。」と言ってくるが。
えてして、そういう人は自分が一人前に完成した行者のヴィジョンがあるけど、修行する心がない。
要するにあるのは自己実現としての完成した行者のイメージのみなんでしょう。
そういう人の多くは自行がない。もっとひどいと信仰がない。
自分が目的をかなえる通過として効率の良いところを探しているのみ。
早く、教会持ちたいんです。何年でもてますか?とかいくらかかるかなどと聞いてくるやつで行が続いたためしはない。
自分が満足のいく行ができるのにそんな目算など立つものか。
「さあ、しりません。一生かかっても無理な人もいます。」と答えている。
なかには、ハイハイとやっつけ仕事のように修行をバリバリしていく人もいるがそんなに甘くない。
そういう人は必ず大転びに転ばされる。
一挙にふもとまで転んで、もうやる気なくして去る人もいる。
それで去る人は去ったがいいのです。
すべては自行の延長にある。早や漬けの漬物みたいなものは通用しません。
仏教の学があろうが、霊能があろうがそこのない人は無理です。
まず自分に目を向けることがないとね。