お不動様のご縁がありまりましたので在家の皆様に良いと思われる念誦法をお披露します。
これは別に急場拵えではなく100座不動供を修した時にこのようにしました。
念誦の部分だけ申し上げます。
※写真は雨宝院様で拝受した湛海律師御作の護摩の灰でできたお不動様
それは実に簡単なことです。
私の書きましたお不動様の本にはお護摩にお参りしてその炎に何でも投げ込んで焼くように書きました。
でも一般にはお護摩に随喜することはそれほど多くないでしょう。
そのやり方とは念誦しながら、常にお不動様の火炎を感じるのです。
自分自身がお不動様の炎にすっぱり入っていると考えましょう。
あなたの念誦に従ってその焔は燃え盛ります。
そうして同じように念誦の間、自分の怒り、愚痴、悲しみ、憎しみ、どうにもならない思いなど様々なマイナスの感情をこの体から出る轟轟とした焔に焼いていきます。
同時に懺悔したいことをも具体的にあげて焼く。過去にあんなひどいことを言ってしまった。冷たい仕打ちで人を傷つけてしまった。思えばことさらに自分の不満をぶつけて人をいじめて喜んでいた。などなど。
勿論逆にいじめられたり、虐待されたり、誤解された悲しい思いや経験も焼きましょう。
一座1000遍できればいいですが100遍でもいいでしょう。
因みに100遍以下は正念誦としない定めがございますのでなるべくそのくらいはした方がいいのです。
ことあるごとにこうしていけば悩みやこだわりから解放されて、周囲にも変化がみられるものです。そうなると観想する焔にも変化がみられるかもしれません。
勢いで一挙にしても意味は薄い。忘れずちょこちょこ絶えず長くすることです。
密教には多くの仏があります。どの尊を拝むべきかは伝統的には結縁灌頂や受明灌頂で決めてきましたが、既に信仰する仏が決まっていれば迷わないことです。
迷わないためにそうした灌頂をやるようなものですから。
あっち拝み、こっち拝みはいけません。効率が良くないです。
お参りは何様をおまいりしてもいいですが自分のお行は絞ったほうが効果的です。ただし、よその神仏を拝んだら罰が当たるとかは絶対ありません。
突き詰めればみんな曼荼羅の仏ですからそういう意味の心配は皆無です。
勿論リアルなイメージが大事ですので一遍は実際のお護摩に参加してみた方がいいと思います。
こんな簡単な行法ですがこれは密教の「内護摩」というものに属します。
終わったら毎座、般若心経や仏説聖不動経など読んで御法楽をしておくとよりいいでしょう。慣れれば数珠を繰らなくてもたとえば電車の中でも心のうちに真言を唱えてやることもできます。