昨日ある神社のことで御神体を祀るには…みたいな話がでました。
それは無理だと言いました。
神祇を祀る。御札ではなく神体で祀る。これはけっこうむずかしい。
観音様やお不動様のような仏像を祀るほど気軽には行きません。
そもそも神社には元となる聖地がある。
鹿島神宮。三輪神社。住吉宮。みなそうです。
八幡宮などは44000社という風でたくさんあるけど宇佐八幡が元。
そこは習合系の権現は違う。
石鎚山と大峰山には同じく蔵王権現がいますが大峰から分霊を持っていったわけじゃない。
ご自分で示現される。
日本古来の神祇はそうではない。神様が人を介して動かれる。
天照大神も倭姫命を介してほうぼう遷座して伊勢に落ち着かれた。
どこへ行きたいかは神様自らの意志が決めるんです。
基本的に人間の都合は関係ない。神意優先。
理屈から言えばあえて動かせるのは一之宮を定めるのと同じことで上ご一人のみがすることです。
だから私でも神祇は三十番神や明神。権現。八幡大菩薩みたいに菩薩号のある神としてなら仏教的に開眼してまつれる。明神遷宮作法というのがあるから祀ってOKなんです。
何故ならそれは仏教に取り込んだ神なので。
そういう明神。権現でもやはり仏菩薩よりはずっと扱いは難しい。
したがって権現。明神でないものはよほど信託でもない限りはお札で祀るのが良い。
御札は受信機だが神像を祀ったりすればそこが第二の発信元となる。
実際なるならないの結果は別にして、ご神体はそういうためのものです。
御神体や神像を作ったりして第二の中心地になってしまうのは大変なことなんです。
元宮の神の許しがいる。
理由なしに第二の発信源はできない。
軽々にしない方がいい。神への非礼になる可能性がありますから。
ましてや個人の理由でなどもってのほかです。
ありえません。
国、地域、村。団体で頼んでお祀りする。そして継承していくべきものです。
それがお社。
昨日神像を祀る話が出てその簡単にはなしたのですが改めて思い付きブログにしておきます。