三毒の最期は愚痴。かんたんに言えば愚かさですが・・・
これはむずかしい。
愚かだとわかれば愚かなことしないよね。
だから逆に言えば愚かさを自覚する。
断っておくが仏教でいう愚かさとは偏差値が低いとか知能指数の低いことじゃない。
程度にもよるだろうかで知的障害の仏弟子・周利槃特はただ心の塵を除くことを考えて掃除し続けて覚者になった。
仏教でいう愚かさは自滅行為のことです。
ないようでもあるのが増上慢。これ愚かさの頂上です。
増上慢の根源は比較する心、優劣でしかものを判断しない。
序列が支配する心です。
そういう意味で愚痴の者は一流企業や高級官僚にいくらでもいる。
そっちの方が多いくらいだ。
増上慢の心は同時に人を蔑み軽蔑することで保持する心。
この間こんな話があった。希望の部署に配属されたら先にいた女性が食いついたという。「私は昔からコツコツやってきたのに、あなたみたいに急に抜擢されるのはずるい!」と言って人格攻撃までする。
この人は増上慢ではないが同じ比較の構造がある。他者に怒ることで自分の自分に対する低評価をごまかしている。ひがみ、妬みの類。これも逆の意味で愚かさの極み。
「なにがずるい」のだろう。
希望はしたけれど本人は上からの命令で配属されているだけです。
失礼ながらきわめて幼稚で被害妄想的な人間と言わざるを得ない。
この考え方は人の幸運はずるい!ということにつながる。これじゃご本人もよくはなりませんね。
こういうのが幅を利かししきっている部署は内容が希望であっても職場としてどうなのだろう。
でもこの話をしているうちに本人が自分の中にも同じ構造があると気づきを得た。
きっとそれがリンクしている!いいとこついてるね。
それが愚かさを見据えるということ。
増上慢、妬み、ひがみ、意地悪はすべて比較の中でしか自分をとらえられないからおきてくる。
まず愚痴から離れることはそうした思いから離れることだと私的には思っています。
それには常に自分二巣食うそうした愚かさを見据え離れていることですね。