金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

忍土ということ

 

今は新型肺炎で皆、我慢自重せざるを得ない毎日です。日本だけじゃなく世界中そうです。

自粛はつらいでしょうけど、この病で高熱にうなされ死にかかっている人も大勢います。想像を絶する激痛に間断無く苦しめられている人もいます。

家族を置いて死んでいく人。

たった一人で死んでいく人。

色々いらっしゃいます。

それを思えば今あなたがこの文を普通に読める健康状態なら幸せというべきかもしれません。

 

この世の中を忍土と言います。

忍ぶべき世の中。

苦の娑婆です。

何かいやなことがあると深く落ち込んだり、なんて不幸なんだと思いますが、ある意味それが世の中の基本です。

 それを忘れるなと仏教で教えます。

いわゆるポジティブシンキングイコール仏教の教えではない。

 

 

私たちは社会の恩恵で守られている。ライフ・ラインもあるので基本的な生活は不自由しない。貨幣経済が確立した分業のお陰で一人で何で衣食住のすべてに携わらなくても生きていけます。

自然界はそうはいかない。

食べるということだけでも毎日死ぬか生きるかでその日その日を生きて行くのが普通の生き物。

原初の人間はやはりそうだったのでしょうね。

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今、私たちは歴史の中でさまざまな文化・文明を生み出してきたので、仕事して対価さえ稼げるならそこは楽々生きていけます。

でも基本は忍土だということを忘れてはいけないと思う。

よく言いますが忍とはこころに刃を当てた状態。そういう現実の厳しい刃物を自分に突きつける心です。

 

仏教では仏道修行が成り立ちにくい境涯を八難所と言って八つ上げています。

その中にウッタラグルといって須弥山の北にある世界にすむという人々は長寿で苦が少ない。(もちろん仏教神話的な存在です)

また長寿天と言って天部は寿命が長く福楽多くして仏道修行に心することが少ない。

これもその八難所の一つです。

要するに非常に恵まれた境涯も仏教的には一種の難所だというのです。

※ほかにも五感に障害があり極めて不自由であったり、世知にたけすぎている「世知弁聡」なども難所にあげられます。

 

辛いときは忍土という言葉を思い出してください。

忍土ということが基本にあればつらいこともあって当然ですから耐えらえます。

不幸なのではない。いつも問題やトラブルがある。

それが当たり前なのです。

私は実はこれこそが本当のポジティブシンキングだと思います。

雨が降り、風が吹き、寒さに震え、暑さであえぎながらわたし達は人生の旅をいかねばなりません、誰であってもです。

 

徳川家康でさえ「人の一生は重き荷をおうて遠き道を行くがごとし」といっています。

殺し、殺されの沢山の戦の中で人の無惨な死を見てきた家康は「この世は忍土」ということがこころの中にしっかりとあった人でしょう。