『この三界(欲界・色界・無色界の三つ、存在世全部)は皆是我が有なり。
その中の衆生は皆ことごとく我が子なり』
法華経の譬喩品第三(法華経の第三章の意味)に出てくるお釈迦様の言葉です。
簡単に言うと「存在するすべて世界はすなわち我がうちにあり、そこに住むすべての生き物は私の子供だ。」という意味です。
簡単に言ってしまえば偉大な覚者である人としてのお釈迦様は、もともとは実は宇宙自身の化身なのだということです。
これってどういうことかと言えば宇宙は我々に対して大きな慈悲を持っている。私たちを存在せしめているということです。
つまるところ大乗仏教の信仰とはそれです。
少々難しい話をしますが、古来28品 (28章) ある法華経は前半14品までは迹門と言って肉体を持った釈迦牟尼のお話になっています。
そして後半14品が本門の釈迦、つまり本地の釈迦・宇宙仏としての釈迦如来のことを説いたものと言います。
昔からこれを法華経の迹門・本門と言って法華経教学ではそういいます。
※ 法華経自体は実際のお釈迦様の言葉でなく、お釈迦様を主人公とした物語としてお釈迦様の時代より500年以上後で出来たものです。
しかしながらこの言葉を聞くとすでに前半の迹門である譬喩品に本地としての宇宙仏のすがたは既にみえているということになります。
天台ではゆえに本迹一致として本門迹門の釈迦に優劣はなく、要は強調している教えの違いと考えます。
また、天台の顕密一致(法華経と密教は同じ真理を説くという考え)の教学では迹門を胎蔵界 本門を金剛界の世界にあてます。
胎蔵界も金剛界も大日如来が登場しますが優劣はありません。
簡単に言えば胎蔵界は如来を空間的にとらえ、金剛界が時間的にとらえた世界です。
宇宙を物理学的に考えると詰まるところは空間と時間は同じだそうです。
本迹一致と言って天台では結局はこの二つに矛盾はなく同じとしますから物理学で応援して頂いていることになります。