神道の話で国津神と天津神を一緒に祀ってはいけないと言われた人からの質問。
この人は出雲様と大神宮様はいっしょにまつってはいけないといわれたそうです。
で、どうなんでしょう?と聞かれた。
こういう質問は困りますね。
質問はどの立場で聞いているかにより答えは変わるからです。
何でも聞けば系統の違うもの一緒に拝むのは駄目なんだといわれたそうです。
そんなの是も非も結論なんかない。
答えは私自身はこだわりませんが・・・と言うだけ。
例えば家は浄土真宗ですが法華経を拝んでいいか?とか言うのと同じ。
このいいかわるいかはどういうことなんだろう。
門徒は法華経など拝まないから良き門徒でいたいなら法華経信仰はしない方向だね。
そうじゃなくて法華経拝むと阿弥陀さんに悪いかとかいう。こういうのも宗派の立場による。
私は天台だから両方拝む。天台としては問題ない。
だけど門徒なら拝まない。
相手が天台の信仰してるならそこは問題はない。
しかし門徒は…そもそも私に聞くのが間違いです。
私は真宗の指導者ではない。
だから門徒としては?と言う質問を聞く立場にないんですね。
実際、ホンネを言えば門徒の家だろうが法華経を読んで何がどう悪いかと思うし、日蓮宗だろうが阿弥陀様拝んでも念仏申しても何でもないと思っている。
試しに拝んでみて決めたらどうよ。
「念仏なんかいうと無間地獄に行くんだから絶対口にしちゃダメなの!ああ、恐ろしい!」という原理主義の日蓮信者の人が叫んでいるの見たことあるけど、私はそういうあんたの頭のなかの方がよほど恐ろしい。
勿論その逆で「念仏を信じる以外はどんなに修行しても絶対ダメなんです。絶対に救われないんです。」とアワ飛ばして力説する人も相手にするのもバカバカしい。
ああそうかい、好きにしたらいいね。
あたしゃ地獄でも結構です。御託並べてないでアンタは早く極楽行ったらいかが。
ただ、言っておくがそれもまた私がただそう思うだけで人が念仏信仰したり、法華経信仰して死後どうなるかの確証は微塵もない。
そんなこと言って責任持てるのか?と言ったお方がいたけど責任もてる人いたら是非連れてきなさいな。
そこはほかの皆さんも同じでしょ。
死んでお骨になってみたけど・・・実際はこうでしたと言う人はあったことないからいたらあってみたいね。
「いいえ、うちの先生は霊界の隅から隅までわかるんです!」と言う方もいますが、私はこの世の近しいことでさえロクに判らない事の方が多い人間です。
そう言うお方にはアリガタすぎて近づきたくないですね。拝めば後光で目がつぶれるかも。
先の問題も同じように仏教から見ればいずれの神祇も仏菩薩の垂迹だから、そこになんであろうと拝んでいい悪いはない。
迦楼羅と龍、帝釈天と阿修羅が同席する世界ですから。
仏教にそういう対立持ち込んだら仏教でなくなる。
だから何の神仏を拝もうが、拝んじゃダメということはない。
でもこだわる人はこだわる。
相馬地方の平将門公拝む人は成田不動は行かないという。
将門さん調伏したから。
でいっちゃいけないかどうか?
しりませんね。
そういうの私に聞かれても困るね。自分で決めたら。