昨日、講員さんとお話していて「アドラー心理学」の話になった。
「アドラー心理学ではトラウマはない」というけどどういなんだろう?
と言う話。
まあ、トラウマは仮に設定されたもので解消時に初めて認識される。
子どもの頃親に酷いことと言われた経験でトラウマになってるなどと言うのは正しい使い方ではない。
それは単なるショックな体験だ。
トラウマとは意識されずに我々の行動を左右するものを言うのが本来です。
これは私たちの扱う世界では過去世だの因縁だのと言うのと似ている。
私が不幸なのは因縁や過去世が良くないから?前世で人を殺している?
男性をだましたから結婚できない?いろいろある。
たしかに仏教は三世思想です。
そこを解決しないと問題は消えない。不幸が続くと思っている人は多い。
だから滅罪行や懺悔も重要視されているのだが、しかしそれだけではない。
現在やるべき修行も大事なのだということを忘れてはいけないのです。
その修行の第一は日常の恒産です。毎日精進して生きることだ。
仏道修行と言う立場からは過去の滅罪も未来の修行と一つだからこそ大事なのだといえる。
過去世がどうあれ、現在の修行に勝るものはない。
何時までも因縁だの、先祖だのばかりにとらわれていてはこころは過去にしか向いていない。それは駄目です。
アドラーの言う「トラウマなどない」は仏教ではそのまま「悪い因縁などない」と言うのにつながる。
たとえば霊がとりついているなどというのはお加持すればいったんは収まることが多いが、本人がそれを理解しないと何度でも同じことが起きる。
こうした場合は霊障はある意味なんらかの利得(いいわけ)になっているのだ。
それでなかなか霊が落ちないから、「あの霊能者は駄目だな。次はどこに行こうか?」の繰り返しになります。
滅罪行やお加持も正しい理解がなければ、役に立たないで自らを過去世や因縁にしばりつけることとなる。
えてしてそこに未来に対する目は失われている。
例えば私は働きたくないのは悪い霊がついているから…が実は
私が悪い霊がついているのは働きたくないから・・・だったりはよくある。
霊障などインチキだとは言わない。私は過去世も信じます。
だが実は霊障が先にあるわけではない人々も多いのです。
霊障があるナシはともかく心が前に向いているのか否かがまず大事だと思います。