聖天様は新たかだけど怖い神様として知られていますけど、本当に怖いのはご利益をもらった方。それも大きなご利益。たとえば所帯が大きな会社なんか軌道に乗って順調なだけでも本当は大変なご加護が働いている。
だけど順調が続くと人はそれは当たり前のように思ってあぐらかく。
聖天様なんか忘れて、お札も御詣りもただの習慣になる。
それも忘れきったら聖天様だって手を引きます。
とたんにダメになる。バチじゃない。手を引かれた結果です。
もうそうなったら終わりの始まり。
稲荷も同じ構造、先代がよく拝んで立てた会社も二代目、三代目が無関心でつぶれる。
それでどうにか後始末してほしいといってくるが・・・信仰ないからどうにもならない。
眷属一党は今更なんなんだ!と言っているし、稲荷様がいなくてもう別なものが住んでいたりもする。
聖天様はもっと派手だ。大体はっきり出ることが多い。
いったん背を向けた聖天様は呼ばれてもノーリターンです。
黙々と去っていく。知る限り大概帰らない。
あとはただ祇園精舎の鐘の音、沙羅双樹花のいろ、盛者必滅の現報かくのごとしとなる。