講員様 「猫の事ですが、パピ(ミヌエット)が昨夜ロンをみると気が狂ったように追いかけまわし、止めに入ったら思い切り手を噛まれたのですがその後は引き離して寝たのですが、おかしかったので馬頭観音、聖観音、金光明最勝王経、今朝は法華経を読んで仕事に行きまして帰ったら、猫トイレの前に育たず死んだ赤ちゃんが1匹出てました。やっぱり妊娠してたのだと思い先のコマと同じで育たなかったようです。パピは元気なく今日はご飯も食べず寝ています。パピも心配なのですが、死んだ赤ちゃんはちゃんと形になっていて庭に埋めてもいいのかお聞きしたかったのととりあえず馬頭観音を読んでおりますが羽田先生に赤ちゃんの御祈祷をお願いしたいと思います。
パピが気が立っておかしいのかわかりませんが何を読むといいのでしょうか?」
羽田 「なぜ気がたつのか、獣医学的に考えてみることも大事です。一辺獣医に聞いてみたらどうでしょう。
講員様 「パピも死んでしまうのかと心配しましたが今朝は動いてるので大丈夫そうで、先生が仰るように病院で診察してもらい様子を聞いてきます。
オロオロして先生にお願いするがイコールになっております。 私が不安なんですね、申し訳ありません。
仔猫の3匹達はとても元気で駆けずり回っております。
先生のところのモモタロちゃん可愛いですね、元気に育ちますように。
有難う御座いました。」
物事には祈願で解決すべきこととそうでないこと。祈願以前にしておくべきことがあります。
後者は大概の問題にいえます。
以前驚いたのは「癌なので拝んでくれ」と言う電話。
「どこの癌ですか?何期ですか?」と聞くと
「症状から自分でそう思うので怖いから医者にいっていない」とのこと。
「‼」
これは極端な話ですがそういう順序の立たぬことはあってはなりません。